西野カナ「トリセツ」
あけましておめでとうございます?
寒中お見舞い申し上げます?
どうやら、どちらも時期を逸してしまったようです……
改めまして、こんにちは、木村拓哉です。
じゃなくて、ヨモギサワです。
「違うだろ、このハゲーー」の声が画面の向こう側から聞こえてきそうですね。
他人の名前を騙るなんて、倫理的でない事ですよね。
すみません。流行りにのって「不倫」とやらをしてしまったようですwww
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年末から引いた風邪のせいで、家に引きこもっていた三が日。
ただ風邪のおかげで、数年ぶりに紅白を見たり年越しそばを食べたり大晦日らしい事ができました。
元日は録画した「カウントダウンTV」や「さんタク」をみていました。
その中で気になったのが、西野カナ「トリセツ」。
いままでメロディーしか聞かず、歌詞を見た事がなかったのですが、今回、ゆっくりテレビをみていたので、歌詞のテロップも見る事ができ驚きました。
なんともすごい歌詞ですね、あれ……
基本的に「表現」には何らかのメッセージが込められていて、表現のプロであればメッセージだけでなくその対象も想定していると考えているのですが、そうすると不可解な事態が……。
表現のメッセージは、例えば「私を知って」、「私を離さないで」、「頑張れ」、「大丈夫」、「ここまでおいで」などなどいろいろ考えられる訳ですが、まずそこでつまずきます。
あの歌詞のメッセージって何なのさ?
歌詞の内容自体はとても個人的な事です。
にも関わらず、日本中(世界中?)に発信されているという現状……。
つまり、歌詞自体にメッセージがあるのではなく、あの歌詞を日本中に発信する事にメッセージがあると考えるしかない。
でも、それって一体???
ここでメッセージについては一旦保留にして、対象について考えてみます。
歌詞自体の対象は「恋人」や「配偶者」なのでしょう。
でもそれを日本中に発信しているという事は、なんらかの対象というかターゲットが見込まれると誰かさんが考えたからなのでしょう。
じゃ、それは誰?
いったい誰なの???
こんな風に考えていると、対象が浮かび上がってきます。
それは、
「他人を自分の思い通りにしたい人」
つまり、取扱説明書を渡す事で自分の思い通りに自分を動かしてもらい、取扱説明書を渡される事で自分の思い通りに相手を動かせる、という相互関係が成立する訳です。
すると、そのメッセージは
「他人と関わる際に衝突するのはめんどくさいから、先にお互い線を引いておくのが大事」
って事にでもなるのかしら。
ただ、そうしたメッセージの下で形成される社会とは
「文句いうくらいなら、自分のトリセツを書いてこい」
「トリセツも出さずに、文句言うなんてめんどくさい奴」
「トリセツ出さないなら、何したっていいんでしょ」
「トリセツも出せない自分ってダメな人間」
・・・・・・
となるのではないかしら。
ヨモギサワはそんな社会はクソだと考えています。
だからこそ「トリセツ」の歌詞を見て、気持ち悪すぎて驚いたのです。
世の中の表現者の皆様には、一人の人間が一人の人間として生きるのを挫くクソみたいなメッセージを垂れ流すのは控えて頂きたいものです。
もし、そういうつもりじゃなくクソなメッセージを流してしまったのであれば、それは表現者としてのレベルが低いということなのでしょう。
ただ、自他の区別をつけられないクソを励ますメッセージで励まされる方たちにしてみれば、一人の人間として生きる事を模索する私のような人間がクソに見えるのかもしれませんね。
ま、それも面白いか……
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今回は「トリセツ」の歌詞だけを取り上げて考えてみましたが、「西野カナという文脈」でみると、違った意図が見えてくるかもしれませんね。
それでもヨモギサワにとって「トリセツ」の歌詞がクソだという事には変わりありませんが…。
という事で、今回は木村拓哉の話…じゃなく「トリセツ」の話をしたので、次回は予告通り不倫…じゃなくて「下ネタ」の話をするつもりです?!
こんかい一気に2本の記事をアップしようと思ったのですが、すぐ上のような間違いを連続でしてしまうくらい疲れましたwww
今日はここまで!!!
表現者としてのレベルが低い私の文章を、ここまで読んで頂きまことにありがとうございました!!!
今年もよろしくお願いしますね。