SMAPと安倍晋三
皆様、お久しぶりでございます。
「yomoyokohiro」でやっていたブログ名を変更しました。
筆無精、というかキーボード無精というか……とにかく遅筆なので更新がいつになるか分かりませんが気が向いたら見に来てやって下さい。
今後とも、どうぞよろしくお願いします。
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昨年末、「これで見納めか…」なんて思いながら、スマスマ最終回スペシャルを見ました.
SMAP解散しましたね。
30年近くやっていたグループが、テレビ番組の総集編を最後に解散というのもなかなか尖っていて面白いものでした。
さて、そのスマスマスペシャルの中で世界的アーティストとSMAPとの共演シーンのがいくつか出てきました。
レディー・ガガといったアーティストと共に歌うシーン、マイケル・ジャクソンと共演するシーンなどなど。
そこで目立ったのは、SMAPの余裕っぷり。
「自分のホームグラウンドにいる余裕」はもちろんあったのでしょうが、気になったのは「相手をライバルと見なしていない余裕」
実際、本人たちがどう思っていたのかは知りませんが、自らがファンの一人として海外アーティストと接しているような印象を受けました。
私はそこで初めて「あぁ、SMAPって本当に『アイドル』だったんだな……」と腑に落ちたのでした。
何か特殊技能をもって始めた、というよりは、周りにもてはやされ、まつりあげられ、いつの間にかトップアイドルの座に君臨していた。
多分、周り以上に、自分たちがその事を自覚していたんじゃないかしら?
だからこそある者は芸を磨き、ある者はありのままの姿をさらし……
もちろん、お笑いの分野に進出したアイドルのパイオニアではあるでしょうし、それが現在のAKBなどに代表される「身近に感じられるアイドル」とかいう流れの源流になっている事はあるのかもしれません。
「アイドルを演じないアイドル」の分水嶺となった、というか……
さて、そんなSMAPの歴史を見ていて「何かに似ているな」と思い、たどり着いたのが安倍晋三でした。
とくに、プーチン来日(2016年12月)の際の共同記者会見の映像をスマスマスペシャルの直前に見ていたからそう思ったのかもしれません。
安倍晋三の余裕っぷりは昔からですが、プーチンとの記者会見では特にそれが際立っていました。
テレビのコメンテーターはそんな安倍を見て「険しい表情のプーチンにとって、安倍首相の笑顔はプレッシャーになるでしょう」なんて事を言ってました。
確かにロシアに都合のいい経済協力を取り付け、北方領土の問題についてはウヤムヤにしたにも関わらず、日本側の代表者が笑顔だったら気持ち悪さのプレッシャーは半端ないかもしれませんw
もとい、問題は「なぜ安倍晋三は常に余裕しゃくしゃくなのか」という事なのですが、私の結論は「安倍晋三は『アイドル』だから」というものでした。
特殊な技能も無く、ただ周りに持ち上げられ、奉られ、いつの間にかトップに君臨し続けている。
そんな安倍晋三の余裕が、錯誤からくるものなのか、諦観からくるものなのか、わかりたくもありませんが、「持ち上げているのは誰か?奉っているのは誰か?」というのは見えてきますね。
それでもSMAPは自分たちのそんな武器(人気)を活かし芸を磨きながら活動を続けています。
政治家にとって人気は選挙のための武器になるでしょう。
しかし政治家の人気は、社会にとっての武器になるのでしょうか?
「あなたは誰に何を求めますか?」
これは私が教える「対人スキル」の基本事項です。
錯誤の状態に陥っているのは、私たち自身なのかもしれませんね。
空気を読みすぎて、その空気の流れである風に流されないようお互い気をつけたいものです。
あ、もともと空気など読まないヨモギサワでした……
「読めない」じゃなくて、「読まない」んだからね!!!
アメリカの大統領がトランプになったことについて
いくつものネタが思い浮かんでは、文字に起こす間もなく消えていく…
そんな4ヶ月間。
皆様、ご無沙汰しておりました。
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トランプがアメリカの大統領になった。
この一週間、世論調査でのトランプ有利の結果通りとはいえ残念至極。
昼間にテレビの選挙速報を見て、いくつかのツイートをした。
このままトランプがアメリカ大統領になったら、またこの世界が「学習しなくていい社会」に一歩近づく…。
— ヨモギサワ(ヨコボリ)ヒロフサ (@_hakuryo_) 2016年11月9日
「考えた結果」ではなく、「思った結果」だけで他者を評価し否定できるのであれば知識なんてそこまで必要ない。
「貧すれば鈍する」を体現してますね、日本もロシアもアメリカも……。
アメリカ大統領選挙においても焦点となる「健康(タフネス)」、「行動の力強さ」、「瑕疵の無さ」といったものこそ「家父長制」がとやらが社会に根強く残っている事のあらわれなのだろう。
— ヨモギサワ(ヨコボリ)ヒロフサ (@_hakuryo_) 2016年11月9日
「弱さ」とされるものがあったとしても、良い点を認め、お互いの足りないものを補い合える社会は程遠い?!
そして、トランプ当確を知ってからのツイート。
トランプが大統領になった事で、今後起こる事を考えると残念でならない…。
— ヨモギサワ(ヨコボリ)ヒロフサ (@_hakuryo_) 2016年11月9日
そりゃあ、この社会にヒトジュクがやっているような教育の需要がないのも仕方ない……。
ただし、本来の意味での「確信犯」になる覚悟をしています。私はモハメド・アリのようなスーパーヒーローではないけれど…。 https://t.co/PbMOo6qFS0
言いたい事は山ほどあるけれども、ま、以上のツイートに詰め込んだので記録のためにもブログに貼っておく。
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最後にひとつ
ヨモギサワは「個々主義者」を名乗っておりますが、その「個々主義」が一番避けたい心性は
「自分以外を認めない」
「自分と同じ者しか認めない」
といった「自分」中心の考え方しかできない状態です。
社会のそうした心性を克服するために、私は「プロの教育者」を自称してヒトジュクを運営しております。
ヒトジュクのルールには「他者と仲良く」という条項があります。
「自分」と同じ者としか仲良く出来ないような人間が社会に溢れては困るのです。
もちろんそもそもその「自分」とやらがない人間もいるわけですが……。
課題は多い。。。
「主権を取り戻す」について
私のTwitterプロフィールにも、ヒトジュクのTwitterプロフィールにも、「主権を取り戻す」という言葉を使っている。
この「主権を取り戻す」という事について説明しておこうと思う。
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私にとって「主権」とは「人権」の事である。
(「人権」については以前から発言しているので、そちらを参照して頂きたい。)
しかし、現在の社会において「主権」とは「国家の統治権」を指す。
さて、この状況をどうしたものか……。
「主権」の意味を「国家の統治権」から「人権」へと移行させる事が必要である。
これは「国民国家」から「個人国家」へと移行させる事になる。
つまり、現在の国境は無くなる。
物語ではなく、ミッション毎のルールを共有する事が社会維持の核心となる。
「物の所有」から、「情報の所有」そして「体験の共有」へ。
こうした「モノ」から「コト」へ、という現代の流れから考え得る帰結である。
では、この流れを生み出した原因は何か?
教育か?
政治か?
法か?
道具か?
……
これらの原因をまとめて言うと、「情報」となる。
教育の整備によって所有する「情報」の同質化が可能となる。
政治や法の働きによって「情報」の方向付けが可能となる。
道具によって「情報」の伝達の迅速化、明確化が可能となる。
この「情報」がルールとなって、社会を形成する。
だが、大きな問題が残る。
それは、私たちが「ヒト」であるという事それゆえの認知機能の限界。
この件に関する解決策は「目的の明確化、手段の適正化」くらいしか思いついていない。
認知機能に限界があるという事は、行動様式にも限界があるという事。
無い物ねだり、無い事ねだりをしても仕方が無い。
ちなみにこれは「現状を維持しよう」とか「成長を止めろ」とかいう話ではない。
むしろ「どうせ死んじゃうんだから、行けるとこまで行ってみよう」だったり、「自分が死んだとしても、生き続ける者、生まれる者はいるだろうから、その人たちに行けるとこまで行ってもらおう」だったりする。
さらには、無いと思っていた物事があったり、あると思っていた物事がなかったりする世の中である。
最善を尽くし続けるしかないのかもしれない。
といいつつも、「国民国家」から「個人国家」への移行はあと200年くらいかかるかと思う。
やっぱり「モノ」は強いし、資源を産み出す土地を手放す事は難しいだろうなぁ……。
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なんてまとまらぬ文章を書きなぐってみたが、私に社会中へ影響を及ぼす才覚も行動力も無い。
それでも意志を表明し続け、生き続ける。
ただそれだけである。
つまり私自身は私自身を一つの国家だと考えているという事。
そこんとこよろしくねwww
簡単にいうと、私は「日本人」ではなく、「ヨモギサワ ヒロフサ」だという事。
ヒトという一個体。
それ以上でも、それ以下でもない。
何言っているか分かるかしら?
イマイチ言語化がうまくいかんのよね。
今を言語化するのはどうしても難しい……。
基本的には数年前に考えた事を、やっとこさ他者向けに言語化し書いているだけだから……。
今回の話は比較的最近の考えによるから、どうもうまくいかんかったかもしらん。
それでも1年以上経っているけれどねwww
そうそう、最後に、直接的・間接的、故意・過失に関わらず私に戦争を仕掛けてくるのはやめてね。
「イラっと35」だからwww
2016年6月近況報告
ヒトジュクを始めて、時間的には暇なはずなのに、精神的に忙しいです。
ヒトジュク、相変わらずやってますw
先日、収入安定のためにアルバイトを探すとツイートしたのですが、なんとか清掃業に働き口を見つける事ができました。
社長は同年代の方で、独立して約10年、法人化して4〜5年(?)だそうで、一緒に頑張れたら、と思っております。
もし清掃(ジャンル問わず)ご入用でしたら、紹介致しますので、お声がけ下さい。
またチラシなどのデザインできる方も、紹介できます。
さらには家を建てたい、リフォームしたい、などといった場合でも、紹介出来る方がいますのでお声がけください。
そして、素敵なアクセサリーを身につけ、気分を華やかに自分を表現したい方、紹介できる人がいます。
もちろん紹介したからといって、必ず利用しろ、という訳ではありません。
何の見当もつかず、一か八かで暖簾をくぐるよりは、まずその道のプロに話を聞いてみるのはいかが?
という提案をするだけです。
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とにかく、知っている人で、しっかりとした仕事をする人を応援していく事。
これも私の仕事のひとつだと考えています。
誠実に、最善を尽くす。
私はまずこの事だけをやっていこうと思います。
最善を尽くす……、難しい………。
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あ、そうそう。
ヒトジュク、教室を構える事になりました。
伊勢崎郵便局のすぐ北100メートルくらいのとこに教室を持ちます。
お近くにお越しの際は是非寄っていって下さいね。
では、またそのうち。。
尾木直樹氏、駒崎弘樹氏、本田由紀氏
親に置き去りにされた子が北海道や金沢で話題になっていた先週。
私はと言えば、風邪を引いて、寒気がするので布団をかぶると汗ばみ、布団をはぐと寒い、を繰り返しておりました。
そんな中、Twitterに流れてきたツイートや記事を流し読みしていて気になったのが今回の題名のお三方なのであります。
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三田紀房『ドラゴン桜』というマンガの中にこんな喩えがあった。
「無人島に生徒と二人きり、自分だけが魚釣りの方法を知っている。さて、あなたならどうする?」
教育者としての質を判別するための問いかけ。
このブログをお読みの皆様ならどう答えるだろうか。
確かマンガの中では
「魚を釣ってあげる」
という答えに対して
「そうではなくて魚の釣り方を教えろ」
みたいなやりとりがあった。
今回、尾木ママ(尾木直樹氏)は北海道で子供が行方不明になり見つからなかった時に、
・本当に子供はそこでいなくなったのか
・両親が何か隠しているのか
・神隠しか……
といった疑念をブログに投稿していた。
そして、その事を問題視する人がいたとか……。
私自身もいろんなケースを想定していたので「やっぱ同じ様な事を考える人はいる」、なんて感想。
さて『ドラゴン桜』の喩え話と今回の尾木ママの言動とを比べるとどうだろう?
尾木ママは、魚を釣ってあげたのだろうか?
それとも、魚の釣り方を教えてあげたのだろうか?
なんて考えてもムダである。
だって尾木ママと北海道の事件とは、多分関係が無いのだから。
ブログの発言は尾木ママのシャドーボクシング(シャドーフィッシング???)と取れる。
つまり「もし自分が北海道で捜索をする立場にいたら……」のケーススタディ。
北海道の事件は「無人島」で対峙するかもしれない「仮想の生徒」と考える。
「仮想の生徒」の事を信じながらも、疑う事は忘れない。
そして、自分に考えうる限りの対策を取る姿勢を持ち続ける……。
「魚の釣り方を教えればいいんでしょ」
なんて、一つの方法しか取れないような教育関係者よりよっぽど好感が持てる。
「生徒」から目を逸らさず、「生徒」の状態を見極めた上で、「生徒」のために最善の手を打てる。
教育のプロとは、かくありたいものである。
そんな「教育のプロ」と一線を画すのが駒崎弘樹氏。
東洋経済オンラインの「奨学金問題の根本原因は教育・雇用の歪みだ 高すぎる大学の学費は、少子化も加速させる」(関田真也:東洋経済オンライン編集部 記者)というインタビュー記事(2016年6月2、3日)がお粗末すぎる。
舞田敏彦氏の「データえっせい」を読んだ方がよっぽどタメになる。
2016年4月8日の「大卒グレー・ブルーカラー」がオススメ。
(といいつつ、全部チェックしている訳ではないので、あしからず……)
さて、駒崎氏が記事で話している事を適当にまとめると、
「トンネリング」状態のトンネルズが、「大卒」という「シグナリング効果」を得て、人生の信号を青に変えるには、給付型奨学金といった教育分野への投資を行うべきで、それが「トンネリング」状態の日本を再生させる事につながる。
って感じ。
「トンネリング」というのは「トンネルの中にいる状態」からの連想で「視野狭窄状態」を表す経済用語らしい。
記事中では教育システムについても言及していて、その点がTwitterでバズっていたのだが、言っている事が
「わかりやすくなければ教育じゃない」
「効果がでなければ教育じゃない」
というレベルのお話で
「この人は教育については素人さんなんだな……」
という訳で、駒崎氏は教育のプロとは一線を画していると感じた次第でございます。
では駒崎氏は何者なのか……。
経済学を齧った気のいいおっさん、なのではないかしら。
だって、よほど「気が良く」なければ、聞かれたからといっても自分の専門以外の事についてベラベラ喋ったり、本物の専門家に反論してみたりしないでしょうから(笑)
ちなみに私は「マクロ教育学」(こんなのあるのか知らんけど)について、舞田敏彦氏、内田良氏、畠山勝太氏を参考にしております。
とにかく、誰に責任があるのかは分からんけれどマクロについて語るのであれば、せめて一定のデータは出して欲しいものです。
なんて言っても、本田由紀氏が2016年6月3日頃Twitterで嘆いていた問題が立ちはだかる。
データや研究成果、調査結果をいくら出したって、受け手が下手ならどうにもならない。
「下手な受け手」というのは「自分の理解出来る事、理解したい事だけをかいつまんで受信する方」の事。
教育現場での「わかりやすさの問題」や「効果測定の問題」の議論は、せめてこの辺りから始めないと話にならないと考えております。そしてこの話は、マクロではなく、ミクロの管轄なのよね……。
なんて、自分自身が「下手な受け手」である事は否めない……orz
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尾木氏、駒崎氏、本田氏の、たまたま流れてきたツイートに関して好き勝手書いてみた。
木を見ただけで森は見ていないのですが、当たるも八卦、当たらぬも八卦という事で……。
目の前に来たものにしか反応出来ないのは、困った事かもしれませんwww
それにしても、引用したり、リンクを貼ったりしても「true」と出るだけでどうにもならんのは困ったのぅ……。
「情弱乙」ってやつじゃな。
万が一、解決策が見つかったらリンク貼付けますので、それまで文中の記事はググって下さいませ。。
「普通」は目指さない
世の中で言う「普通」を私は目指す事はない。
そもそも世の中で言う「普通」とは何を指しているのだろうか。
それは単に「私と同じ行動をして」、「私の理想通りに動いて」、「私の事を察して」、「私を気分よくさせて」、「私を煩わせないで」といった事である。
つまり、どこまでいっても「私」。
「普通」と評価する「私」の範囲内でいる事。
「普通」と評価する「私」の管理下でいる事。
「普通」と評価する「私」の価値観に合わせる事。
「普通」にはこうした願望が含まれている。
そして、そこから逸脱した時に「普通は…」、「普通にしろ」といった言葉が飛び出す。
あなたの前にいるのはあなたではないのですよ。
お分かりですか???
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殺人事件といった犯罪が起こり容疑者が逮捕されると、決まって「普通の人だと思っていた」的なコメントが出てくる。
「普通の人」は「いい人」でもある。
なぜなら、自分の期待に応えてくれている人だから。
この事は「普通の人」でも犯罪者になる事を示すのか、それとも、犯罪者が「普通の人」のフリをしている事を示しているのか、私にはわからない。
しかし、どちらにしろ「普通」である事が、人々の警戒心を和らげる効果を持つ事は確かだろう。
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さて、そこで困るのがヨモギサワである。
私は自分で言うのもなんだが、とても「普通」www
残念すぎるほど「普通」……orz
初対面の人には必ずといっていいほど「どこかで会った事ありますよね」と言われ、そのクセ、2度目に会った時には「前と印象が違う」と言われる。
さらに言うと、存在感はあまり無く、一緒にいなかったのに「この前、一緒にいた時…」みたいな話をされるかと思えば、一緒にいても「この前、お前がいなかった時……」みたいな話もされる。
ちなみに、そんな自分を数年前は「無味無臭」なんて自己紹介していた事もあった……。
これの何が困るかと言うと、自分が逆に「胡散臭い」感じになること。
「あんなに『普通』だと、ぜったい裏があるよね……」みたいな。
そんなこんなで、ここ数年、SNSを利用した自己紹介をしている訳です。
それくらいの手間を惜しまないでくださいね。
お互い必要最低限の警戒はしましょうね。
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ちなみにヨモギサワが書いている事を理解出来るなら、ヒトジュクに通う必要はありません。
賛同頂けるなら、一緒に何かしましょう。
賛同頂けないなら、お互い離れてましょう。
一方、私の書いている事が理解出来ないのであれば、ヒトジュクに通ってみてはいかがかしら?
ただヒトジュクの経営状況は芳しくないので、早めに決断頂かないと無くなっているかもしれませんwww
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そういえば、そんなヨモギサワを一際嫌う方々がいます。
・他人を自分の支配下に置き管理したい人
・自身の実力を超えた役職についている人
・自分の尺度のみを絶対と考えている人
です。
おかげで、面倒くさいのと付き合う必要がないので助かっています。
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そうそう「普通」を目指さないのは、「普通」だから。
でも、最近ヒマなので、波風立てるのは厭わないから「事あれ主義」になってます。
どうか「事なかれ主義」の皆様はお気をつけ下さい。。
パラダイムシフト
TLに次のツイートが流れてきた。
応用哲学会2日目。昨日からの感想として、既存の議論枠組み上でスマートな発表をする人たちのを聞いてると、私はパラダイム内部で細部を検討し詰めていく営みにまったく興味がないんだなあとしみじみ実感する。(大学院ではそういうスキルを教えてますけどね)。
— 森岡正博 (@Sukuitohananika) 2016年5月8日
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世の中では「理系」と「文系」とどう定義しているのだろう?
私はこれらを「客観」と「主観」という「視点の違い」で説明する。
「他者と共有出来る評価軸」によって情報を扱うのが「理系」で、それ以外は「文系」である。
ちなみに、「私、文系だから」とか「私、理系だから」といった慣用句は、単に「国・社・英のテストが得意でした」や「数学・理科のテストが得意でした」を意味するに過ぎず、学校卒業以降には何の役にも立たない自己紹介である。
さて、以降は私の定義によって話を進める。
「他者と共有出来る評価軸」とはなんだろう。
これは「他者」の範囲をどのように区切るかで大きく変わる。
範囲によっては、宗教も「理系」となるし、哲学も「理系」となる。
また一方では数学が「文系」となる事も考えられる。
なので、
「それでも、地球はまわっている」
なんて言っても仕方が無い。
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件のツイートのなかに「その先ちょこっと論文」なる言葉が出てくる。
「理系」の学問であれば、その「ちょこっと」ずつが積み重なることで発展していく。
もし「理系」の学問においてパラダイムシフトが起きたら、それまでの「理系」は「文系」と見なされるかもしれない。
では「文系」の学問におけるパラダイムシフトとは何であろう?
そもそも「文系」の「評価軸」は他者との共有が難しい。
「評価軸」共有のために必要なのは情報・知識、体験・経験。
という事は、パラダイムシフトが起きても「気付けない」のではないだろうか。
たぶんパラダイムシフトを起こした本人は言葉を駆使して説明してくれるだろう。
しかし、パラダイムシフトの起きていない者がいくらそれを聞いても「わからない」のだろう。
逆に言えば、気付けてしまったり、わかってしまったりするのであれば、それは「パラダイムシフト」ではなく、単なる「言語化」に過ぎない。
(世の中では「言語化」=「パラダイムシフト」なのかしら???私自身は「評価軸」の変更がパラダイムシフトなのかと考えていたのだが、それも「言語化」に過ぎないと言えばその通りね……。「言語化」という言葉の範囲が広すぎるのかしら?)
ただ「その先ちょこっと論文」が「言語化」でなく、単なる「言い換え」に過ぎないのなら、確かにそれはショボいね、なんて思う。
でも「言い換え」してる本人は、それを「理系」と考えて評価軸の「目盛り」を細分化した気になっているかもしれないので、ま、触らぬバカに祟り無し、みたいな……www
ちなみに、人間がヒトであるかぎり、哲学にパラダイムシフトなんて起こらないんじゃなかろうか、というのが私の考えです。
ま、人工知能に期待してますw
人工知能が仮にパラダイムシフトなる事を起こしたとしても、人間がそれに気付けるかどうかは甚だ疑問ではありますが……orz
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なんて、私自身は「哲学家(知を愛する者)」ではありますが、「哲学学者(過去の知を研究する者)」ではないので、かの学派や学会内にどんな課題、問題があるのか一切存じておりません。
今回の話もミクロとマクロとの混同すれすれと自分では思っているのだけれど、そんな視点を、世の中で何と言うのかさえ知らん。
とにかく私自身は、違いのわからない「目盛り」不足であり、知の研究の出来ない「メモリ(容量)」不足なのでありますwww