ヨモギサワ・ヨコボリ・ヒロフサ

思考の結果を徒然なるままに…

虐待・体罰・イジメは楽しい

最近お気に入りだったツイッターアカウントが消えてしまった事に気付き、とても残念。

単にブロックされただけならいいのだが…orz

その方のアカウント名は確か「くちばし」さんといって、海外の人権関連アクションの情報などを発信してくれていた。

残念至極である。

 

さて、こうした情報発信からヒントを得て考え続けているのが「虐待・体罰・イジメ・痴漢・強姦といった人権侵害・人権犯罪は表出形態に過ぎないのではないか?」という事。

 

つまり

 

虐待をしたいから虐待をするのではない

体罰をしたいから体罰をするのではない

イジメをしたいからイジメをするのではない

痴漢をしたいから痴漢をするのではない

・・・・・・

 

という事。

 

何が言いたいかと言うと、これらの問題について

 

「『虐待』をやめましょう」

「『体罰』をやめましょう」

「『イジメ』をやめましょう」

「『痴漢』をやめましょう」

・・・・・・

 

と言っても何の効果も無いのではないか、という話。

 

この構造は「『人殺し』をしてはいけない」と言われ続けた事で逆に「人を殺してみたかった」なんて犯罪が起こる事を彷彿させる。

(「人殺し」の大半は、一般名詞の「人」を殺しているのではなく、「○○さん」を殺しているはずなのに…。また日本では事件を「異化」するための報道も盛んなのに…。)

 

今週の「俺通信」はこの件について書こうと思っていたら、ちょうどTLに私が「表出形態に過ぎない」と考えている話に終始する記事が流れて来たので、私の意見をいくつかツイートした(以下の4つ)。

 

 

ちなみに木村草太氏の記事は次のもの。

 

 

ここからが今週の本題なのだが、貼付けたツイートにも、表題にも書いたが、人権侵害・人権犯罪を表出させる動機は「楽しい」からというのが一つにあるのではないだろうか。

 

「自分の思い通りに事が運ぶのは楽しいし、やりがいもある。」

 

多くの人がこの感覚を経験しているのではないだろうか? 

 これを少し進めると、次の様になる。

 

「自分の好き勝手に振る舞うのは楽しい。」

 

自分が誰かよりも「上」と感じた人はこんな振る舞いをする。

その判断材料は、年齢だったり、地位だったり、実力だったり…。

(私は特定の材料によって無条件に自分を「上」と判断する事を「差別」と呼んでいる。)

 

こうしたことで感じる「楽しさ」に「相手のために」という大義名分をくっつけて行われているのが虐待であり、体罰であり、イジメなのではなかろうか。

さらには、大義名分をくっつけずに、ただ自分の「楽しさ」のために他人を消費するのが痴漢、強姦の類いの犯罪なのではないだろうか。

 

ところで、ここで感じている「楽しさ」とは「支配」の楽しさである。

「支配」と日本語で言うとなんか特別な事に感じるかもしれないので「コントロール」、「操作」と言った方がいいかもしれない。

 

「自分の思い通りにしたい」・「自分の思い通りになって欲しい」という欲望・願望を他人に対して抱き、それが「自分の思い通りにするべきだ」・「自分の思い通りになるべきだ」と変質した時に行動に移されるのだろう。

 

最初は「思わず」だったのかもしれない。

 

でも、その行為が成功し続けた時、つまり、相手が自分の支配に無抵抗で居続けた(or相手の抵抗を無効化でき続けた)時、そこで感じる「楽しさ」や「自己万能感」はクセになるだろう事は容易に想像出来る。

 

つまり、人権侵害・人権犯罪を何とかしていくには、この「楽しさ」という「既得権益」をぶっ壊していかなければならない。

 

 なので相手に「異常者」、「バカ」、「人で無し」、「こんな事する人じゃないと思ってた」、「自分と同じ人とは思えない」、「道徳自警団」と言ったラベリングをして、「(絶対に)許せません」なんて新たな「道徳自警団」を組織している場合ではない。

(こうして組織された集団に共通するのは「踏み絵」、「合い言葉」、「キズを見せ合う」といった儀式が用意されているのよね。)

 

では私はこうした事態にどう対応するのか?

 

 そこは「教育」の出番だと考えている。

 

ツイッターのプロフィールに「自分の主権を自分に取り戻す」ための「教育」を行う。

Facebookのプロフィールには「『何にも属さず、何にも属させず』が理想。この状態で協力関係を築ければいいと思っています。」と書いているが、これが私の姿勢である。

 

 ただ「教育」を連呼していると、「テスト勉強」しかしていない多くの人に誤解されるようなのだが、ま、それは私の問題ではないだろうwww

 

ちなみに「テスト勉強」をしている人は「知識を定期預金」しているイメージ。

テストのときだけ知識を引き出して使っている感じwww

私はいつも「現金」持ち歩いているけど、財布が小さく、穴もあいているので……orz

 

とにかく、近々、塾を本格始動させるつもりです。

 

「支配」については、私自身いままでなんどか言及しているのですが、私がファンとしてフォローさせてもらっている方も言及していたので記事を貼っておきます。

 

c71.hatenablog.com

 

 

c71.hatenablog.com

 

 

c71.hatenablog.com

 

 

c71.hatenablog.com

 

 

c71.hatenablog.com

 

という事で、また来週。。

恥ずかしい話

ここ数年、センター試験を受け続けている。

今年も最低得点記録を更新した(泣)

恥ずかしい限りである……orz

 

 

私にはセンター試験で得点するためのスペックが圧倒的に足りない。

 

どんなスペックが足りないのか?

 

まず問題を読み間違えないためのスペック。

私は「6」と「9」や「〜をA、…をBとおく」といったものをよく読み間違える。

これは昔からなのだが、最近、特にヒドい。

(見分け方の一つとして「数字を1から10まで書いてみる」というのがある。

私は3回に1回はどこかの数字が抜けるwww)

 

次に、情報処理速度のスペック。

とにかく頭の動き、手の動きが遅い。

 

ペーパーテストで、この2つのスペック不足が組合わさると致命的である。

 という事で、試験の得点が取れない(ただの言い訳www)。

 

 

また、 これらに加えて決定的に足りないのが「自分一人で学習するスペック」である。

 

 そもそも私が一人で勉強を始めたのは高校1年生の時。

それまでは教員に言われた事をやっていただけ。

 

 高校に入ったら「自分で勉強する方法」を学べると思っていたのだが、結局「指示された事をやらされる」だけであった。

そこで「このままでは自分で自分の道を切り拓けないな…」なんて思ってしまったのが運の尽きであった…。

 

私は「人の真似をする事」、「人の真似を改善する事」については得意である。

「モノマネ」は苦手だけど、「モノマネのモノマネ」は得意。

つまり「ポイントを指示されれば理解できる」のだけれど「自分でポイントを理解する事はできない」という事…orz

(私が「『違い』の分からない人間」だという事は以前書いた。)

 

 

「自分が出来ない事を出来るようになりたい」

これが私の学習動機である。

 

「無から有を生み出す」

「『違い』を判定する」

これらが私の手に入れたい能力であった。

 

直角三角形の斜辺の長さを固定する事で角度の関数として捉えるsin、cosってすごいし、どうしてそういう発想ができるの???と、ずっと不思議なのだが、教科書に書いてないのよね…。

私にとっては、これも「無から有を生み出」されたひとつの事象

 

以下の本は大学の時に1度だけ読んだが、「無から有を生み出す」メカニズムについては書いてなかった気がする。 

零の発見―数学の生い立ち (岩波新書)

零の発見―数学の生い立ち (岩波新書)

 

 

「『違い」を判定する」については、例えば「何を『論文』として判定するのか」というのが私にはサッパリ分からない。

 

この事は、大学で卒論を書いた時、特に感じた。

そして、そうした「違い」を判定出来ないからこそ、実践出来ない。

なので私は小論文の指導をできない……。

(作文の指導はある程度までならできます)

 

 

ま、それでも「自分の出来る事」と「自分の出来ない事」との違いは分かる。

 

中等教育をするには、それだけ分かっていれば十分なのかもしれない。

 

みなさんの周りの教育関係者はセンター試験を受けに行っていますか?

私は今後も受け続けようと思います。

 

巻き込み事故が起こるかしら??????www

 

ちなみに、点数を公開しようと思ったのですが、あまりにも恥ずかしい点数なので止めましたwww

 

 

私の教育サービス利用を検討なさる方の中に、センター試験結果をご覧になりたい方がいらっしゃいましたらお見せしますので気軽にお申し付け下さい。

 

では、また来週。。

「俺の人生じゃない」

SMAPが解散とか、なんとか…。

 

雇われ塾講師をしていた頃、「キムラタクヤ」を名乗っていた身としては他人事としか思えない?!

 

蓬澤(横堀)博亮

 

これが私の氏名になる訳だが、大多数の人には読めないw

いわんや中学生・小学生をや…、である。

だから「これは『キムラタクヤ』もしくは『フクヤママサハル』と読みます」と伝えていた。

教室長から「あなたクラスで自分の事を何と呼ばせているの?さっき保護者から『キムラタクヤ先生いますか?』って電話があったんだけど…」なんて言われた事もあったwww

 

「私の名前を覚えても、この先、一文の得にもなりません」

生徒にはこんな事も伝えていた。

とはいえ2人担当制の塾だったので、いつの間にか本名が知れ渡るのでありましたw

 

ま、私の「キムラタクヤ」の思い出と言えば、こんなものなので、そりゃSMAP解散といっても他人事よねw

 

「俺の人生じゃねぇから関係無い」

これは、ここ数年来の口癖。

私には自分の人生と関係ない事を考えているヒマなど無く、寝るので忙しい。

 

ではいったい何が私の人生に関係するのか?

それは私の生きる社会に関する事である。

つまり私の周りにいる人間に関する事である。

 

SMAPは私の周りにいる人間か?

私が何かしらの影響を与えられる事象か?

 

答えは明らかに「NO」である。

それを「他人事」と言わずして何と言おうか。

 

私は誰かに知られて恥ずかしい事は多々あっても、困る事は多くないので個人情報を特に隠していない。

隠していないとは言っても、公表している訳ではないけれどwww

「私の事を知っても、一文の得にもなりませんよ。」

これが私の姿勢である。

「あなたに私の事を教えても、私に何のメリットがあるのかしら?」

こう言い換える事も出来る。

 

「という事は、ここで自己紹介しているのはメリットがあるって事?」

という疑問が思い浮かばないかもしれないので、自分で書いてみるw

「そう、そのつもり」

……、自問自答の出来上がりwww

 

もちろん、お金関係の番号やネット上でのパスワードが漏れると面倒な事になりそう。

でも私はお金を持っていないし、ネット上の発言をチェックされる立場にもないのでそこまでの影響はないか…。

 

とはいえ、他人の個人情報については漏らさない様に気をつけている。

基本として、記憶のみに頼っている。

最近はメモもなるべくしないようにしている。

問題は情報が漏れる事ではなく、消えていく事…orz

私の頭は固有名詞のインプットが苦手なので、四苦八苦している。

 今後、事業を本格始動させる場合、記憶のみに頼るとサービスの質が下がるので、個人情報管理用ワープロを用意しないとアカンと考えております。

パソコンだと勝手にネットに繋がったらヤバいし…、そこまでの情報機器スキル持ってないし…。

 

あ、そうそう。

「『自分の事を知っても一文の得もしない』と自分では言うくせに、お前は他人の情報を集めるのか?」

と仰る方がいらっしゃるかもしれませんのでお答えしておきますね。

 

「『あなたの事を知る』のが私の目指す教育の第一段階であり、それが私の仕事です。」

 

自問自答アゲインwww

という事で、また来週。。

私が見られているのか、あなたが見られているのか…

はてブを開始して、2度目の投稿。

 

それにしてもアクセス解析の結果がステキ。

今のところ4人しか見ていないw(うち3つは自分か?)

ツイッターFacebookとに連動していてこの有様ww

笑うしかないwww

(そうはいっても読者になって下さった方がいらっしゃるので感謝致します。おかげさまで独り言にはならないで済みました。。)

 

はてブの使い方をちっとも理解していないので、投稿のみして参ります。

 

 

せっかくなので私の文章がナゼ読まれないのかを自己分析してみる。

 

①みんな忙しい

②私の言う事に価値がない

③私に興味がない

 

とりあえず、主要な原因はこんなものかしら…。

 

①はかなり大きな問題よね。

 

私は引きこもりしているからSNS見ていられるけれど、働いたり、学んだり、子育てしたりしていたら自分と関わりのない事まで情報収集しているヒマはないわな…。

 

という事で②の原因に移る。

 

引きこもりの戯言なんて、机上の空論というより、妄想の産物の可能性が高いのよねw

そりゃ価値はないわ…orz

さらに私は高校生レベルの知識しか持ち合わせていないので、思考の結果も高校生レベルにならざるを得ない。この点でも価値はないかもしれない。

 

「いつか私の教育サービスを利用する方々のための自己開示」が私がSNS上で発信している理由なので致し方ないか…。

SNS上の私の言動を遡って頂ければ、私という人間の一貫性をある程度は保証できているのではないか、と考えております)

 

なんて、まるで価値がある事を言えるかのような口ぶりをしていますが、そんな事はありません。

(それでも私の言説に価値を見出して頂けたら光栄です)

 

③については致命的よね。

 

Facebookでは実際に会った事のある人間としか繋がっていないはずなのだが、それでも見てもらえていないのは残念。

ただ頻繁にFacebookを利用していない人間の方が多いので仕方ないわね。

 

すると①の原因に戻る??!!!

 

とにかく、今後が楽しみです。

なんちゃってwww

 

 

さて、本日はここまでにしておきます。

 

来週以降のテーマとしては

 

・「バカ」は理由になりません

明石家さんま

・捨て犬に餌だけやるのをどう考えるか

・教育なめんなよ

・PSって表現だけの話か?

 

なんてのを予定しております。

 

今週は一番上のテーマに繋げようと思い書き始めたのですが、うまくいかなかったので来週以降に持ち越しです。

 

ここまで読んで頂きありがとうございました。。

2015→2016

あけましておめでとうございます。

新年になったということで、はてなブログ始めてみました。

どうぞ皆様、今年もよろしくお願いします。

 

「2015→2016」と題して、振り返りと展望を少々…。

 

2015年の世の中のニュースで最も衝撃的だったのは、どこかの国の裁判所で、生きている意義を見出せないという理由での安楽死が認められた事。

(記事が出てこないので、勘違いかも?後日、ゆっくり探します。)

 

病気による安楽死ではなく、生きる意味が見つからない事による安楽死

もしそれを望む人間が私の目の前に表れたら、教育者として何が出来るか?

そのニュースを見てから、ずっと考えている。

多分、何も出来ない気がする。

というより、気がつかないかもしれない…。

今後もずっと考えていく。

 

ちなみに、私の生きる意味は特にない。

だからこそ、なんとか創ろうと考えている。

また、生きる意味がないから、死ぬ意味も特にない。

私と同じ様な事が出来る人間はいくらでもいる。

それは、私の代わりがいくらでもいるという事であり、私も誰かの代わりをいくらでもできるという事。

これぞ凡人の強み。

そもそも需要がないのだから、供給せずとも誰も困らない。

需要がある事が「幸せ」と定義する人もいる。

需要が無い事を「幸せ」と定義する人もいる。

いま私は幸せである。

 

 

2015年の衝撃ニュースはそれだけ。

安保法成立も、社会に「どんでん返し」という事はないと改めて感じさせてくれただけだったし、オリンピック関連のゴタゴタも、当然の成り行きだったので衝撃はなかった。

 

ところで、安保法について「戦争法反対」とバカの一つ覚えで叫んでる方には幻滅している。

「オオカミが来たぞ」といってオオカミが来なかった時、街の人々がどう考えるのか分かっているのかしら?

 

日本の社会で政治家をやっている人間のコミュニケーション能力が低すぎるのか、安保法を廃案にする気がないのか…。

後者であれば、日本社会にも面白みがあるけれどwww

 

私は安保法について「違憲法」だから反対の立場。

最高裁での判断が出るまで違憲ではない、という手続き論を持ち出す人もいるが私はそれを採らない。飲酒運転をしても警察に見つからなければ飲酒運転ではない、って話にしか聞こえない。

とにかく、野党の臨時国会召集要請にも勝手な判断で応じない「違憲政府」と「違憲法」には反対しております。

でも今の国会は「違憲選挙」で選ばれた議員によって運営されているのでしたね。

あ、「2020東京オリンピック」と似た流れだwww

 

 

2016年について…。

 

なんといってもリオオリンピックが楽しみ。

私の周りでも運動を流行らせてみようかしらwww

 

参議院選挙もちょっと楽しみ。

「どんでん返し」をどこかで期待している。

通常国会をのらりくらりとすり抜け、マスコミも「中立」とかいう立場でヌルい情報発信に終始し、投票率48%くらいで与党と野党とが半々くらいに落ち着く結果が目に浮かぶのだが、気のせいだと思っておくwww

 

さて、私の2016年はどうしましょ?

塾を始動させるのに、これといってネガティブな事案は結局出てこずじまいだし、懸念されていた教務力も高校レベルの最低限はクリアできそうだし、他の心配事項はやってみてから考えるべき事ばかりだし…。

という事で、塾をスタートさせる事になりそうです。

ほかにもいろいろするかもしれないし、しないかもしれないしwww

 

凡人は凡人なりに出来る事をするのです。

 

という事で、今年こそはよろしくお願いします。。。