ヨモギサワ・ヨコボリ・ヒロフサ

思考の結果を徒然なるままに…

あれから5年、あれから14年半

もう5年。

もう14年半。

 

時間は着実に過ぎていく。

その間に、何が変わって、何が変わらなかったのか。

 

あっという間である。

 

東日本大震災で痛感したのは己の無力さ。

教育者として生きている事は、緊急時に何の役にも立たない。

 

そこで、この5年間がある。

 

「教育とは何か?」

「私には何が出来るのか?」

 

考え続けている。

 

一応の答えは出ている。

 

・教育とは「準備」であるという事

・教育とは「社会づくり」であるという事

 

・「人権」を軸にして教えよう

・まず発信しよう

・つながりを築こう

 

これらは震災前から考えていた事でもある。

しかし、はっきりと必要性を意識したのは震災のあと。

まだ不十分さを感じている。

 

9・11があっても、まだどこか他人事であった。

3・11で自分の周りでも「何か」が起こる事がわかった。

それも「人為」に限らず……。

 

携帯電話が無くても、誰かと待ち合わせはできるだろうか。

SNSが無くても、誰かと連絡が取れるだろうか。

 

水は?火は?食料は?電気は?

ちゃんと確保できるだろうか?

 

全体が一気にやられることは隕石でも墜落しない限りないだろう。

 

「何かがなければ、気付けない感性の鈍さを憎む」

 

自分に対して言い続けている。

もちろん周りに対しても。

 

今後もどんな準備が必要か考え続けたい。

 

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いくつか本の紹介。

 

7SEEDS 1  フラワーコミックス

7SEEDS 1 フラワーコミックス

 

 2015年に初めて読んだ。

作中の教育機関のカリキュラムが、中高生の頃に理想としてイメージしていたカリキュラムに近かった。

ただ、その教育機関は成績悪いと生徒を処分したり、選別のために殺し合いをさせたりしちゃうので、その辺は全然考え方が違うけど…。

「どんな状況に陥っても、生命を維持する事ができるようになるための教育」が私の原初理想なのよね。

誰にも理解されてこなかったけれどマンガの中に描かれているのをみて「中高の頃の自分に見せてあげたかったな…」なんて思ったのでありました。作者がそのカリキュラムを理想的と考えているかは別として「同じ様な事を考えている人がいる」というのは当時の自分にはありがたい話よね。

ちなみに、今の私は「中等教育の担当者」なんてこぢんまりした感じに収まってますwww

中等教育」だけでもまだまだ実力不足ですがね……orz

 

 

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

 

 

 

 

湯浅誠氏の講演会を聞きに行く予定があるので読んだ。

2015年に私が何度かツイートした「『自己責任』の対義語は『連帯責任』」といった話や、「関係づくり」(文中では「場づくり」)の話、「自己肯定感」を削る(文中では「自分自身からの排除」)話など、私自身が課題と考えていた事と重なる部分が多かった。

ただこれらの本が書かれたのは4〜5年前なので、この本の影響を間接的に受けていたのかもしれない。

自分で考えた気になっているのも、なかなかタチが悪いなぁ……。

自己チェックが出来ないというのは恐ろしいものです。

 

ではまた。。