ヨモギサワ・ヨコボリ・ヒロフサ

思考の結果を徒然なるままに…

評価という行為について

何かを「良い」と評する事は、自分自身をさらけ出す事と同じである。

「目利き」には善し悪しを判別するための知識・感性が必要である。

「良い」と表明したと同時に、評価者の知識・感性が露になる。

 

一方、何かを「悪い」と貶す事は、誰から見ても明らかな欠点を指摘するだけでよい。

どんなに小さくとも、ひとつでも「シミ」や「キズ」を見つけ出せれば貶す事ができる。

さらに評価者の安全地帯を確保できる。

何かを貶す場合は、自分自身を主語としなくてもよいのだから……。

 

Twitterを見ていて、こんな投稿を見つけた。

 

 

ちなみに私はこれらの情報を初めて知りました。

もしこの映像(番組)を見ていたら「うわっ、手抜き工事(怒)」と思っていた可能性もあった訳です。

 

自分が何を知っていて、何を知らないのか…。

自分は何を評価出来て、何を評価出来ないのか…。

知識への畏敬の念を忘れない様にしたいものです。

 

「自分は出来る」と根拠も無く思っていると、いつか人を殺すかもしれませんよ。

ま、そういう方は自分の世界だけで生きていらっしゃる事が多いので、誰かが死んでも「自分の人生劇場に出てきた通行人Aが死んだ」としか認識しないのかもしれませんね。

 

評価するという行為については過去にも何度か投稿していますが、また同じ様な話になってしまいましたw

 

さて、私自身は教育者として「人間性の評価の放棄」を表明しているのですが、その理由はいろいろあります。

ただ「自分が評価されたくないから」という理由はございません。

もしお手数でなければ、どうぞ好き勝手に評価して下さいませwww

 

ちなみに、私の仕事の方法論のひとつが「目的の明確化と、手段の適正化」なのですが「あなたの『目的』については評価しません」という事でもあります。

もちろん「手段」とその実施状況についてはチェックさせて頂きます。

 

一方、私は基本的に文句をよく言う人間です。

基本的に「私でも出来るレベル未満の職業人(活動者)」に対して文句を言っています。

ホント「自分は出来る」と思っている奴って嫌ですよねwww

 

 

とにかく、震災・戦災・人災にあわれた方、あわれている方、はたまた、何ともない人が、なんとか生き延び、幸せを感じる生を送りながら過ごされる事をお祈り申し上げます。。

目指している事

自分の周り(ごく狭い範囲)では、自分と同じ様な考え方をしている教育関係者に会った事はない。

 

けれどもネット上では一人だけ知っている。

 

c71.hatenablog.com

 

 

c71.hatenablog.com

 

この方である。

 

ただ本人にとったら勝手に「私と同じ様な考え方」なんて言われてしまい、名誉毀損も甚だしい事限り無しやもしれませんな……。

 

ネット上でも似た考えの方が見つかるのだから、他にも沢山いるだろうと勝手に希望を見出しております。

 

とにかく、

 

「どんな立場(視点)から教育を行うか(受けるか)」

 

この事を相互にチェックし合うのが教育業界における最低限のマナーになるように頑張って参ります。

 

ちなみに「相互」というのは、学習者、教授者、保護者を想定しています。

もちろん、内部でも必要ですよね。

 

さらには社会全体でも相互チェックが働くまでに出来たら……。

 

おっと、足下をみないと、足を救われちまうぜwww

「俺通信」最終回

1年前にたまたまネットの記事で見かけた「俺通信」という言葉。

 

「聞かれてもいないのに自分の事をSNS上で発信する人が増えている。そんな彼らの投稿を『俺通信』と呼ぶ」みたいな解説をされていた。

 

自分の事だっ!!!

 

それ以来、長文投稿を「俺通信」と称してほぼ毎週投稿させて頂きましたが、それも今回で最終回とさせて頂きます。

 

読んでくださっていた方がいらっしゃいましたら、ぶ厚く御礼申し上げます。

 

ちなみに私の周りで読んでいる人は多分いませんwww

 

話題に上った事もありません…orz

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

さて、ネット上に自分の年収を載せたり、他者への文句を載せたりして「コイツは何を考えているんだ???」と不思議にお思いの方もいらっしゃるかもしれません。

 

私のネットの使い方について少々書いておきます。

 

 

①文句

私のポリシーのひとつに「一期一会」があります。

 

意味は本来と全然違い「今日会った相手と会えなくなった時に後悔しないようにする」という事で使ってます。

 

相手の尊厳を傷つけた上、私自身が謝罪していなかったら

相手に無礼な振る舞いをしてしまった上、私自身が謝罪していなかったら

 

相手と会えなくなった時、私は後悔するでしょう。

 

逆に、

 

相手の勘違いを指摘しなかったら

自分の周りで起きた無礼(人権侵害など)に対処しなかったら

 

こちらについても、相手と会えなくなった時、私は後悔するでしょう。

 

文句を書くのはただ単に自分が後悔しないためです。

 

私自身の頭の働きが悪いので、その場では自分に非があると思って謝罪しているのですが、いくら考えても自分の非が見つからない場合は文句を言っています。

 

その文句は、人間関係構築上の姿勢に関するものに限定しているつもりです。

 

また、ネット上に書く私と会った事のある人間に対する文句は、関係者に直接話した後で書いている事が多いです。

 

大学の同期への文句、職場への文句など、実際に関係者に話してから書いています。

 

できるだけ文句の該当者に届いた方がいいですから。

 

また実名で行っている発言ですので、これから私と会う人間には警戒しておいてもらった方が、私の精神衛生上いいでしょwww

 

私なりの「精神公衆衛生」なんちゃってw

 

もちろん、私が文句を言う理由が「オカシイ!!」、「理不尽だ!!!」という指摘は絶賛受付中です。

 

でも

 

「私はそういうの好きじゃない」

「そういう事してると嫌われるよ」

 

なんて指摘は必要ありません。

 

私は私自身に嫌われない様に必死で生きているのです。

 

私以外の誰かに嫌われても離れていればいいだけなので問題ないですが、自分自身に嫌われたら離れようがないですから……orz

 

 

②プライベート

プライベートについてはあまり書きません。

 

「引きこもり」とか「大学受験失敗」とかは、ほぼ自分の範囲だけの話なので書きますが、他者の領域の話も入ってくる話は控えています。

(たまに面白さに負けて投稿する事もありますw)

 

Facebookの友人へのコメントでは、近況を書いたりします。

 

ま、別にプライベートで誰かに知っておいて欲しい事が無い、というのも書かない理由です。

 

いつも言ってますが「隠す事は何もありませんが、知られて恥ずかしい事は沢山あります」www

 

もし私のプライベートに興味があれば、会った時、何でも聞いて下さい。

聞かれれば、何となく答えますよw

 

ちなみに私は知り合いのプライベートに興味ありますよ。

情報が沢山あった方が、相手の事をより深く知る事ができますから。

 

 

③個人情報

他人の個人情報は出来るだけ隠しています。

Facebookでの誕生日メッセージを送るのも基本的に控えてます。

 

自分自身の個人情報は大して隠していませんが、公開もしてません。

特に知って欲しい事はないですからwww

ただ便宜上、生まれ年、卒業した学校などはちょっと調べればわかる様にしています。

 

写真はネット上に数枚載っていますが、基本的に自分では公開しません。

 

パ、パソコンスキルが、足り、足りない訳じゃないんだからっ……!!!

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

あなたがいつこの文章を読んでいるのかは分かりませんが、私のネットの使い方は、ミクシイを使い始めた頃(2005年頃)から大して変わっていません。

(ミクシイ・アカウントはプライベート用と公開用で分けてみた事もありますが…。どちらのアカウントも残っています。興味があれば探してみてください。日記は誰でも読める設定にしてあるはず。)

 

2016年3月にヒトジュクを始動させ、はてブツイッターに別アカウントを作ったのですが、使い分けをどうしようか考え中です。

 

 とにかくそんなこんなで「俺通信」と称した投稿はこれで最終回とします。

 

ありがとうございました。。

大学卒業後の職歴②(2010年〜2016年3月)

先週のつづきです。

 

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市進での私の仕事ぶりですが、自分に都合よく書いてしまいました。

 

でも、私の国語の授業を見た同僚(教室長や地区長(ブロック長))で私が何をやっているのか理解した人は皆無でしたし、算数の授業やり方では多くの保護者からご意見(クレーム)も頂いてましたので、辞めるべくして辞めたという訳です。

 

・小4の国語の授業では子どもにノートを取らせない

・基本的に国語の問題はやらせない

・算数は問題のやり方を解説する前に問題を解かせる

 

などなど、市進が目指す「金太郎飴クオリティ」を乱していたのは間違いないでしょうwww

 

それでも、明確な意図を持ってやっていたと自己弁護しておきますw

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

そんなこんなで市進を辞めた訳ですが、理系大学進学を目指して学習に専念したかといえばそうではなく……。

 

結局、プライベートでゴタゴタして、新聞配達も辞め、群馬に戻り、第一次引きこもりを始めたのであります。

 

そんな2010年の4月。

新聞配達の最終日は大雪でございやした。

 

引きこもりといっても、学習には身が入らず、また「フランスに行きたい」というこれまた高校時代からの野望が再燃し、飛行機のチケットを買い……。

 

これで出発出来ていたら、私も少しは「役に立てる機関車」になれたのに?!

 

これまたプライベートでゴタゴタし、海外脱出の計画は失敗に終わります。

 

そう、ヨモギサワは「やらない選択肢への判断」はとても早いのでござる。

そう、レベルの高い「やらない人間」なのですwww

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

そんなこんなで2010年9月。

何もしないでいるのもなんだし、就職活動なんてものをしてみる事になります。

 

①快活クラブ

まず応募したのは漫画喫茶。

応募理由は「マンガ好き」、「快活クラブ好き」、「もっと居心地のいい快活クラブが欲しい」。

それだけ。

エントリーはホームページから。

面接日が決まるまでに1週間。

初の本格的な就活という事もあり、面接で有休について聞くというミス(この面接後に見たタウンワークで知る)。

その後、結果が出るまでに1週間。

もちろん結果は不採用でございました。

 

自分の世間知らずさ加減にウンザリしつつ、就活をなめすぎていた自分を改めるためにハローワークに通ってみる事にしました。

 

②はじめてのハローワーク

当時住んでいたのは多摩市。

そこのハローワークに通ったのですが、ここでも致命的なミス。

なんと、自分の携帯番号を誤記入してしまいました。

半年間、社会との接触無しに生活していたツケが……orz

 

気合いをもう一度入れ直す必要があったので、どんな職種で就活するのか考える事にします。

「お前は営業に向かない」

当時(現在も)よく言われていた言葉。

「せっかく就職するなら、出来ない事を出来るようにしたい。」

そんな想いで、営業職をメインに就活する事になります。

さらにリクナビにも登録!!

そしてこの時期から単発ではなく、複数同時での応募を始める。

 

③ケーブルテレビの営業職

ハローワークで応募した会社。

社長さんはジーンズ会社の営業やっていた人が立ち上げたばかり。

「個人向けの問屋になりたい」

と仰っていたのが印象的だった。

エコバッグを使っていた私に就活用のバッグを買うように忠告してくれたのも嬉しかった。

「もし他に決まらなかったら来て下さい」

と言われていて断りの電話をした時、

「それでも何かあったら連絡下さい」

と言ってくれたのもありがたかった。

 

リクルート関連会社

リクナビに登録して営業職を希望したら、リクルート関連会社の営業職も多く募集をかけていたので応募してみた。

パソコンを使ってネット上で学力試験を受けたのだが、出来が悪かった(紙と鉛筆になれすぎでして……)のを覚えている。

結果は全部不採用でございました。

 

「あなたにとって、この会社で働いても思った通りの仕事はできないかもしれませんよ」

「それは、自分で必要だと考えているので私の人生への配慮は必要ないです」

 

「働き始めた時に、自分でノルマを決めるとしたらどの程度のノルマを設定しますか」

「自分の実力で出来ると思う1.3倍くらいで設定します」

「そんなんじゃウチに入ってもついて来れませんよ。2倍〜3倍を設定して頂かないと」

「そのノルマをみなさんは消化できているのですか」

「みんなヒイヒイ言いながらやってます」

「そんなノルマ設定に何の意味があるのですか」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

「何か質問はありますか」

「15万円で広告を載せると仰ってましたが、それを上回るメリットがないとお店潰れますよね。その辺はどうしているのですか。返金したりするのですか」

「そうならないように頑張っています」

「あ〜、そうなのですね・・・・・・。ありがとうございました」

 

みたいなやり取りばかりしていたのだから、そりゃ、全部落ちるわwww

 

⑤その他

飲食業、不動産業、アメブロ運営会社などに応募しては落ちた。

 

この時の就活で分かったのは、

リクナビに登録すると頭数稼ぎの応募を沢山させられる。

・どんだけ応募して不採用になっても、結局、不採用になった理由が分からないのでなんの成長にも繋がらない。

・なんの成長にも繋がらないのに、不採用になったダメージは大きい。

といったところかしら。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

さて、リクルートから独立した人が立ち上げ、タウンワークの広告営業の下請けをメインにやり、幼児向け英語教育など行っている会社への就職が最終的に決まった。

 

この会社の話は何度か書いた事がありますが、改めて書いておきます。

 

・「君だけ1時間遅いねぇ」

9時出社という規定だったので8時に出社していたら3日目に言われた言葉。

ちなみに4ヶ月先輩が1人、同期が1人いた。

「売り上げに貢献出来ないのだから、せめて早く来い」という考えだったようだ。

ウケるwww

 

・「やりたければ勝手にやっていいよ」

「ウチの広告作ってもらおうかな。今度、詳しい話を聞かせてよ」と言ってくれたので会社に持ち帰ったら社長に言われた言葉。 

入社して5日目くらいから一人で営業にまわっていた。

「『タウンワークに広告をのせるお手伝いをする会社です。』ではなく『会社名を宣伝してきなさい』」的な事を言われ、さらに名刺にタウンワークの商品以外にも「チラシ・宣伝・コンサルタント」といった事も書いてあったので、そう説明して回っていた。

いま思い返しても、意味不明であるwww 

「ウチは、タウンワークの求人広告が主だから。」

この言葉で、この話は終わった。

ウケるwww

 

・「早ければ早い方がいい」

幼児向け英語教育事業をなぜやっているのか聞いた時に返ってきた言葉。

一方で「日本の教育は素晴らしいから、輸出した方がいい」だの仰るのだから、冗談きつい。

ウケるwww

 

・「表情が暗い」

営業に回り始めるようになって、朝、会社で考え事をしながら掃除している時の表情を咎められた。

この言葉は私に退職を決意させたのだが、詳しい理由は忘れたwww

 

これが2010年12月中旬。

たった2週間のサラリーマン生活であった。

 

もちろん、プライベートのゴタゴタを話さなかったり、通勤電車が我慢ならなかったり、5時に起き、6時に家を出て仕事をし、24時に帰宅、25時に寝るという生活が続けられなかったり、という私自身の問題も多かった。 

 

直後、市進への復帰を目論み、年明けに2次面接が決定。

そんな中、明けた2011年。

プライベートのゴタゴタが決定的となり、また群馬に引きこもる事に!!!

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

第2次引きこもりの頃から、自分の来歴を振り返るようになった。

 

そうして感傷に浸っているなかで起きた東日本大震災

 

【この件について先日書いたが、過去記事がうまく貼れないのでそのうち貼ります】

 

6月になって、やっとこさ東北に行く事が出来たが、何も出来る事は無かった。

その後、海外旅行をし、9月からまた働き始めた。

 

いわゆる「フリーター」って生活が始まる。

 

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丸亀製麺

 

店長以外全員バイト(なんか「パートナー」とか呼んでた)

内部統制なんて何もない。

みんながみんな「自分の店」とばかりに好き勝手…。

バイトなのに上司に気に入られようとするって何なんだろ?

「褒められたくて仕方ない」、「絶対に怒られたくない」、そんな仕事の仕方。

 

それでも最初に会った店長は面白い人物で、一緒に働けてよかった。

でもその店長以外は、どうしようもなかったwww

面白い店長も事務仕事は全然してなかったらしいけどw 

 

ホント、凄まじい事ばかり行われていた。

・シフト通りに働かせるためにバイト同士でタイムカードを切らせサービス残業をさせる

・私が作ってもらったバイトの連絡ノート(いろいろ店の文句を書き連ねていた)を捨てさせる

・「使えない人間」と勝手に評価してシフトを入れずに辞めさせる

・時間を超過したバイトの労働時間を勝手に削る(これはマネージャーの問題)

・15分以上の残業を申請して承認を受けないと支払わないシステムを採用する(これは本社の問題)

・組合費だけ徴収し「お食事券」を配る事を誇りとする労働組合(これは組合の問題)

挙げればキリがない?! 

 

ちなみに丸亀では半年ごとに店舗を変え、合計3店舗で働いた。

新店オープンも協力した。

 

ざるうどんの容器にカビが生えていてネットが炎上したのも、ちょうどこの時期。

バイトだけでやっている店の掃除は基本的に雑だった。

当時の話なので、今どうなっているかは知らない。

 

私は面白い店長さんが他県に異動したので、それを機に辞めた。

 

勝手に退職届をダウンロードし提出したのに、何も言われなかった 。

ウケるwww

 

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そうそう、働き始めて半年くらいたった頃に就活をした。

2012年5月から 7月の話。

 

きっかけは丸亀の社員さんに「一緒に働こう」とお世辞を言われて、その気になったから。

 

丸亀製麺の面接では

「バイト同士しかいないのにサービス残業をさせるのはオカシイし、何年も同じ仕事しかさせないのは教育体制の不備でしかないので、そこを改善したいと考えています。教育スキルを持っている私には出来ると思います」

なんて事を言ったら「生意気」という理由で不採用となったwww

それでも、この後、バイトとして1年近く働いたのだから、我ながら頭オカシイwww

 

他に、いくつかの塾を受けてみた。

 

・赤堀の「志学館」という個人塾

ハローワークで見つけて、応募。

一旦、採用される。

しかし、出社1日目に「いつか大学受験をしたいと考えている」と話したら、「一緒に長くやれない事を隠していたので辞めてもらう」と連絡が来た。

なんで「試用期間」の不採用事由も知らない人間がハローワークに求人出しているのか…。

というか、面接で自分たちの求める人材の条件をチェックも出来ない人間が教育をやっているのにはビックリした。

ウケるwww

 

私はこういう類いの「バカ」(自分の無知を省みないタイプの人間)とは関わりたくないので、その旨を文書にしてもらいごねる事なく辞めた。

 

・前橋の「心水塾」

当時はホームページに「社会(理科だったか?)のノート作りは効果的な勉強方法です」なんて書いているイタいイメージの塾www

実際はどうか知りません。

だって不採用だったからwww

筆記試験が全然出来ていなかったのかもしれませんねw

 

・「USUI」(ウスイ)という塾

「教えるとは、教えない事」という私の考えに近い話をしている塾だったので、楽しみにしていたが不採用でした。

英語の模擬授業をやったのだが、英語学習の考え方は私の考えと全然違った。

なんか「ネイティブ」を育てるつもりらしい。

私はあくまで「第二言語としての英語」しか教えないし、教えられない。

 

・太田の「英進」

20名ほどの講師の皆さんの前で英語の模擬授業をさせてもらった。

私の「漢文風英語教授法」を披露したら興味を示してくれる方もいらっしゃって、嬉しかった。

バイトとしての応募し採用してもらったのだが、ちょうど丸亀の結果待ちということもあり断らざるを得なかった。

 

・ほかにも明光義塾やスクールIEにも申し込んだが、対応はまちまちで、申し込んでも連絡をよこさない塾もあれば、面接の際に「合否に関わらず電話する」といっていたにも関わらず連絡をよこさない明光義塾があった。

その一方、とてもとても丁寧に断りの電話をしてくれた、みどり市明光義塾もあったりもした。

 

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この就活の結果、丸亀のバイトと早稲田育英ゼミナールでのバイトというダブルワークフリーターとしての生活が始まる事になる。

結局バイトかよ!!

 

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早稲田育英ゼミナール(夢・みらい館)

 

オーナーは足利の中小企業の社長(何の会社かは忘れた)。

塾長はSEっぽい仕事を請け負う個人事業か何かの代表。

学習塾、デイサービス、保育園の複合型施設を始めるという事で、面白そうだったので働いてみる事にした。

 

・早稲田育英ゼミナール本部から派遣されてきた社員

確かイニシャルはSだったはず。

私以外は、講師未経験の大学生・院生が採用されていた。

そんな彼らのための研修で彼が話した話は「昔教えていた子を学校のテストが近いので塾に呼んで勉強させたら、何もしないで座っているだけ。理由を尋ねたら『何も持ってこなかった』というので、思い切りビンタをしてやった。そのまま生徒は帰らせて、親に電話で顔が腫れている理由を説明した。そういう事が何度かあって、その子の成績はちっとも上がらなかったけれど、親には『一生懸命面倒みてくれてありがとうございます』と感謝された事がある。」という話。

他にも、研修で話すのは「どうしておけば親から文句を言われないか」という話ばかり。

こいつが特別なのか、全員そんなものなのかは分からないけどスサマジイ話である。

ウケるwww 

 

・マニュアルも講師用教材もない塾

市進は一応オリジナル教材、オリジナルマニュアルがあり、すべて一部ずつ講師に配られていた。

しかし、早稲田育英ゼミナールには教室据え置きの教材がワンセットあるだけで、マニュアルは存在しなかった。

 

・「ヨモギサワさんのやり方を広めないで下さい」

その塾で仕事を始めて、1ヶ月で塾長から言われたのがこの言葉である。

英語の教授法、国語の教授法を大学生達に軽くレクチャーしたり、天声人語を読ませている大学生に「天声人語は連想ゲーム的な文章なので、文の構造や読解の練習には向いてない。短めの説明文で練習させた方がいい。」と言ったりしていたらこう言われた。

「ひとつのやり方に拘らず、講師それぞれのやり方で教えて行く塾にしたいので…」という理由だった。

素人さんの発想…。

ウケるwww

ま、私が一人で勝手にやっている分には問題ないとの事だったので、なるべく他の講師とコミュニケーションを取らないようにし、丸亀製麺が忙しい事を理由に塾の仕事はあまり入れないようにした。

 

・「オーナーの話を聞かせて下さい」

これは何度も塾長に要望した私の言葉。

文書にして提出もした。

それでも一度も返答をもらった事はなかった。

今となっては、オーナーが拒否していたのか、塾長が話を上げていなかったのか不明である。

ウケるwww 

 

・ただ開かれただけのバーベキュー会

塾が始まって最初の夏休み、塾の敷地内でバーベキュー会が開かれた。

しかし、塾に通っている生徒、その保護者、講師、オーナーの会社の社員が集められただけであった。

「人を集めただけで、何かが始まると思っている人って本当にいるんだ…」とビックリした。

ちなみに塾長は肉を焼いているだけで、生徒とも保護者とも大して会話せず。

オーナーは自分のところの社員と喋っているだけ。

「この会は何のために開かれているのですか」と保護者や生徒に聞かれても、苦笑するしかなかった。

私はこの一件で、ここの事業を見限った。

 

もちろん、せっかく縁があったのだから、もし会話ができるならと「オーナーの話を聞かせてください」という要求は続けたが、結果は上記の通り。

 

群馬で働き始めてから、「バカ」な大人にしか会わない事にウンザリし始めたこの頃。

 

・すごい大学生

そんな塾でも、講師の大学生たちは頑張っていた。

iPadを使って授業を組み立てている子がいたり、予習をしっかりやって教えている子がいたり、と若い世代はやっぱりすごかった。

ただ、その上司が何のアイデアも持っていなかったのが本当に残念。

 

・もう一人の社員

私が採用されたとき「もし働きぶりがよかったら正社員にします」と言われていたのだが、当然の事ながらその話は無かった事になり、新しい社員が別に採用され入社してきた。

その方は、いろんなアイデアとそれを実現する術を持っている方で、私なんか及ばない実績をお持ちの方であった。

 

この人に出会えた事と、すごい大学生の姿を見られた事がこの塾で働いてよかった事である。

 

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当時のマイ流行語は「帯に短し、襷に長し」「私を四字熟語で表すと不良債権」だった。

 

そんな2012年の7月〜2013年4月。

 

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塾で初めて高校生に教えたら、理系科目の未熟さを痛感した。

 

全然教えられない……。

 

本気で勉強しないとな…。

 

理系大学目指すか。

 

なんて事で引きこもる事に。

 

結局、失敗しましたけどね。

 

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2014年度は働きながら勉強する事に。

 

バイトで選んだのは「ヤマザキパンの伊勢崎工場」。

パンは作ってないけれど、お菓子やパンの中に入れる具、カレーなどを作るヤマザキパンの工場。

 

時給は1000円(1ヶ月後に100円アップ)。

土・日はさらに100円アップ。

基本一日4時間しか働かなくても10万円に届く。

 

丸亀では時給900円、830円、850円の店舗で働いたが、土・日・祝日も時給は変わらなかったので10万円に届かせるのもやっとこさだったので、これは驚きだった。

 

さらには、サービス残業も無ければ、誰かをフォローする必要もなく、一人一人が与えられた仕事を黙々とこなせばよい(もちろん、手が動いていればおしゃべりしても問題ない)。

 

単純作業が主なので、作業はすべて改善し尽くされており、言われた事を言われたようにやるだけで問題ない。

そんな職場はとても居心地がよかった。

 

さらに、みな私よりも動きが速く、私より仕事が出来る人たちばかりだった事も、居心地がよい一因だった。

 

「教育者として生きる」や「もっと勉強したい」という目的がなければ、居心地がよすぎて、一生続けてしまいそうな仕事であった。

 

目先の生活には困らない。

それだけの収入も確保できる予感はあった。

 

とはいえ、センター試験前に辞めた。

 

それでも試験は出来なかった。

ウケるwww

 

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そして、大学受験専念を理由に引きこもりを始めたのが2015年2月。

 

全然、学習に専念せず、Twitterをみたり、「俺通信」を毎週投稿してみたり、好き勝手やらせてもらった。

 

8月〜10月は、群馬に出来たLGBT支援団体「ハレルワ」というところに参加してみた。

 

自分より若い世代の人が立ち上げた団体だったので、どんなロジック、どんなスキルを持っている人たちなのだろうと興味深かったのだが、そうしたものは無かった。

 

・渋谷区の「同性パートナーシップ制度」を利用するのにお金がかかる事も知らない。

・「同性婚」制度確立のための運動も考えているという事で、私が「マイナンバー制度や戸籍制度の調査」を提案しても、「一人で頭に血が上っているようだ」と却下される。

・団体に持ちかけられた相談内容を、会員全員で共有する。

群馬県議が委員会でLGBTに対する侮蔑的発言をしたら、団体の名前を使って政党支部に勝手にクレーム電話を入れる。

 

そういった事が続いたので、「こんな事を続けていると人を殺す事になりますよ」、「他人の人生はあなた方のオモチャではないのですよ」という事を10月頭から言っていたら「そういう事を言っていると、こちらは辞めてもらう事も考えなければ…」なんて言い始めたので、「お騒がせしてすみませんでした」と言って団体から抜けた。

 

2015年10月末頃の話。

 

ちなみに、このハレルワは「当事者団体」としては素晴らしい団体だと思います。

一人きりでクローゼットに籠っているよりは、何人かで入れるクローゼットに拡張した方が気持ちが楽になるのかもしれません。

ただ、そのクローゼットはナルニア国につながっているのかしら?

私にはわかりかねます。

 

私にとって、LGBTの話は「人権問題」の一環と考えています。

つまり、制度・慣習・文化と複雑に絡み合う問題だと考えており、確たる知識、戦略を共有して問題解消に努めて行きたいと考えています。

そんな私とハレルワとは方法論が違うので、離れるのは自然な話。

 

ハレルワの「当事者性」は私には提供出来ないものなので、ぜひ「当事者団体」として頑張って頂きたいものである。

 

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結局、大学受験は失敗www

 

とにかく、どうしようもない…orz

 

ただ、おかげで高校課程の学習はできたので、塾を開く事は出来そうである。

 

これが2015年3月現在の状況。

 

さて、どこまで通用するのか?

 

ま、楽しみね。。

大学卒業後の職歴①(市進学院の話)

ここ数年

「そばかすなんて♪ 夕波小波♪ 家に帰ればセキスイハイム♪」

というメロディーが頭から離れません。

 

どうも違いの分からないヨモギサワです。

 

ちなみに上のメロディーは

キャンディ・キャンディの主題歌

瀬戸の花嫁

セキスイハイムのCMソング

 

暑さ寒さも彼岸まで、なんて言いますが、群馬は昨日から暑めでございます。

 

さてもう2015年度も終わりに近づいてきましたので、大学卒業後の職歴を紹介します。

 

 

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〜1週間で終わった就活〜

①「卒業後に稼がねば」と思い、2005年11月頃にネットで「塾講師」の職を検索

②条件の一番良い「市進学院」の契約社員募集に申し込み

③次の日に「説明会があるから2日後に来て」と電話

④説明会に行ったらテストを受けさせられる

⑤テスト2日後にテスト通過の電話

⑥2次面接(模擬授業)→英語の過去分詞についての授業("speak"の時制変化も怪しかった)→授業の意図や志望動機を問われる

⑦面接2日後くらい(?)に採用決定の電話

 

(当時の、市進学院の素晴らしさは、説明会や面接の度に交通費が支給(一律千円)された事と、決定までの時間が早かった事。

アルバイトの面接でさえもっと時間がかかったり、採用・不採用の電話すらしてこないところもあるのに……。

未だに、市進学院より素晴らしい待遇の就職面接に出会った事がない。)

 

 

〜市進学院での研修〜

「五者であれ」

「市進の研修受けていれば、どこの塾でもやっていける」

 

2005年12月から始まった研修でまず言われたのが上記2つ。

当時は研修でも満額の日給をもらえていた。

 

研修の流れとしては「過去問・学校研究→模擬授業」が基本的な流れだった。

「過去問・学校研究」といっても、形だけだったが、実際に現場に出た時の指針になった。

「模擬授業」は「大きい声」が重要視され、台本を「コピー」する段階→板書を早くする段階→……とテーマも設定されていた。

 

(私は最初テーマ設定に気付かず好き勝手模擬授業をしてしまったのだが、研修担当Y先生はしっかり研修の意図を説明してくれた。

塾の研修だけあってしっかりと教育をしていたのはさすがである。研修担当の先生が素晴らしかったのが幸いしたのかもしれない。

この研修の時に教わった「既知→未知」、「具体→抽象」といった指針は現在も私が心掛けている事である。

また同時期に読んだ向山氏の本も、研修内容と重なる事が多く参考になった。

 

授業の腕をあげる法則 (教育新書 1)

授業の腕をあげる法則 (教育新書 1)

 

 

ちなみに向山氏の本はこの1冊しか読んでいない。)

 

 

〜市進学院1年目(2006年3月〜)〜

とにかく最悪の「クソ講師」だった。

市進学院には授業マニュアルがあり、年度の前半はほぼマニュアル通りの授業だけをやっていただけだった。

また教材も把握していなかったので、チェックテストを自作したり、ポイントをまとめたプリントを自作したりもしていた。

しかし生徒には全然学力がつかない。

中3でアルファベットを最後まで言えない生徒がいたのも衝撃的だった。

そんな状態で、年度後半には「年度始めからやり直せたらどんなにいいだろう」と考えていた。

この話を、ちょっと漏らしたら「それは言ってはいけない」と同僚に怒られた。

ホント、私は最悪の講師であった。

いったい何人の生徒を犠牲にしたのだろう……。

今、思い出しても恥ずかしくなる。

 

いっぽう、いいとこ無しだった代わりに、春期講習の新人研修では現在の私の「漢文風英語教授法」に繋がるヒントをもらったり、「1+1型」ではなく「全体・部分型」教授法のキッカケを掴んだりと一番私が成長した年でもあった。

 


〜市進学院2年目(2007年3月〜)〜

別の教室に移動した。

 

1年目の反省をいかし

・どんな意図をもって物事を教えているのか

・この1年がどんな流れになっているのか

といった事を生徒に話すよう努め始めた。

 

例えば、

・(当時の市進学院では、宿題をやったり、テストの成績があがったりするごとにポイントを付与していた(小学生のみ)事に関連して)

「『誰かに褒められたい』、『褒美が欲しい』といった動機で勉強をするのはサーカスの動物と一緒ですよね。私はサーカスの調教師にはなりたくないので、ポイントは一律で差し上げます。ヨモギサワに、気に入られようが気に入られまいが受験に影響ありません。そんなことよりも『自分で自分を褒められる』ようになって下さい……」

ただ、この話は研修でも、向山氏の本の中でも触れられている話である。

・「みなさん『大人』ってどうになるか知ってますか?ただ寝て、起きてを繰り返すだけでは今の状態のまま大きくなるだけです。みんなは今の状態のままで家の人みたいに働いたり、近所付き合いしたりできますか?もし出来ないと思うのであれば、今の状態を少しでも変えるために勉強して下さいね。」

・「野球のゲームだけをしていても、技術向上には限界がありますよね。だから投げる練習・打つ練習・走る練習を別々にやるわけです。教科に分けて勉強するのは野球の動きをで別々に練習するのと一緒です。分けてやったあとに、自分の中で総合しなければなんの意味も無い。『練習のための練習』なんてやっている場合じゃない。じゃ、みなさんの勉強はなんのためにやっているのか?受験をなんのためにするのか?しっかり考えていきましょう」

・「『知らない』状態や『できっこない』と思っている状態だと、ちょっとした事でも『壁』に感じてしまいます。既にできる人からみたら、そういう人は自分で勝手に道ばたの小石を『壁』だと思っているように見えます。そういう人を『バカ』といいます(笑)私がみんなの事を『バカ』と言ったり、舌打ちしたり、ため息をついたりしたら、自分は小石の前で立ち止まっているんだと思い出して下さいね……」

といった話。

いま考えても、「バカ」や舌打ちやため息は最低……orz

基本的に小学生にこうした話をする事が多かった。

中学生は本人達が勝手に話をするので聞き役にまわったが、小学生は授業に関するおしゃべりはあまりしなかったのでこちらから話す事が多かった。

 

また、2年目で周りをみる余裕が少しできた事もあり、同僚のT先生にはいろいろと学ばせてもらった。

T先生に言われた「『生徒をただ拘束すればいい』って話ではない。市進は『短い時間で効率よく学力をつけるのが基本スタイル』」という話は今も心に刻んである。

「生徒の人生を奪いながら、授業をしている」という事を忘れてはならない。

 

一方、自分の授業スタイルが確立してきた事もあり「指導書」なんてのを書いてみようと思い始めたのもこの時期であった(未だに完成せず)。

 

 

〜市進学院3年目(2008年3月〜)〜

2年目はある程度、生徒に学力をつける事の一助になれた反面、いろいろと反省点もみえてきた。

・自分自身の教務力不足、知識不足への不安

・「教えすぎていないか?」という不安

・「教え方が独特すぎないか?」という不安

・ベルトコンベア式教育の限界

 

この年度に小学生の保護者との面接で言われた言葉は今も印象に残っている。

それは

「大人と同じ読み方を、子供ができなければならないのですか?」

という言葉。

「中学受験で求められている読み方は、自分の好きなところを好きに読む『読書』ではなく、書いてある事を書いてある通りに読む『読解』ですので……」

といった感じで返答した覚えがある。

(その後「中学受験をするから必要なのか?」と自問自答し続けている。

社会で「読解」的コミュニケーションが出来ている大人なんてめったにいない。

みんな「読書」的コミュニケーションで済ましている。

もちろん、テスト形式になれば「読解」スキルを使う人間は多いだろう。

でも普段のコミュニケーションでは利用しない。

その程度の学び、その程度の社会に私は住んでいる。

自問に対する私の答えは「適齢期以上になったら、全員に必要」である。

「適齢期」とは「自他の区別がつき始める頃(=思春期)」。

ただ、「読解」を実践のために教えている人ってどれだけいるのだろう?

私は会った事が無い……。)

 

元々は、学校教員になる前に、しっかりとした指導力(授業力)をつけたくて始めた塾講師の仕事。

しかし、市進という特殊な環境(担任制・複数教科指導)にいて、私の中の「学校をつくりたい」という中学生の頃から抱いていた思いが再燃した。

「塾を開業してしまおう!!」

これが私の運の尽きwww

そんな思いから、文系講師から理系講師に変わる事になる……。

さらに、知識不足を補充するためには理系の大学進学(これも高校の時から抱いていた思い)が必要と考え、その資金づくりのために新聞配達のバイトも始めた。

 

 

〜市進学院4年目(2009年3月〜)〜

なんやかやあって理系講師に変わったのだが、この時期の市進は不景気・少子化・個別指導塾の台頭……の影響で試行錯誤の過渡期にあり、内部は経営陣はぐちゃぐちゃであった。

 

理系講師としての研修をお願いしていたにも関わらずウヤムヤにされ、不必要にシフトを契約と違う風に入れられ、1年目では犠牲が大きすぎると拒否していた中学受験生を受け持たされ、年度の途中(夏期講習直前)で中1の担当を外され…とさんざんだった。

 

中学受験生を拒否していたのは、地方出身の私にとって中学受験算数がさっぱりどんなものかわからなかったので、理系転向1年目はその把握に努めたいという気持ちがあった(市進1年目の惨劇を繰り返したくない気持ちも強かった)。

ただ受け持ってしまった以上は全力でやった。

(私はこれでも常に全力なの……。)

この3年間の教育スキルの蓄積もあり「中学受験算数の5つの方針」なんてのを元にしたスタイル身につけた。

(自分のスタイルでしか教えられないのは、今も悩みの種)

それでも基本問題しかできるようにはならなかった。

文章問題になると……orz

 

そんなこんなでも、なんとか1年を乗り切ったのだが、契約更新の際に提示された5年目の基本給は、ネットで募集をかけている新人講師の基本給よりも低いものであった。

ま、仕方ない、と思いながら一度はハンコを押したものの

「必要とされないのなら、辞めよう」

と思い直し、退職願を提出した。

 

別になんの当ても無く辞めた。

 

「必要とされないなら辞める」

 

ただそれだけの話。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

機関車トーマス風に言うと「役に立つ機関車になりたい」かしらwww

 

最近、トーマスを見る機会があったのだが「やりがい搾取」という言葉が頭から離れない…orz

 

という事で今週はここまで。

来週に、つづきます。。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

そうそうだいたいの年収を書いておきます。

もし塾業界への就職を考えている方がいらっしゃいましたら古い話ですが参考にして下さい。

 

1年目:330万

2年目:300万

3年目:320万+30万

4年目:320万+100万

 

※額面です。

契約社員は週4日勤務(5時間10分)でした。

※当時は週5日勤務の契約社員もいて、そちらは30万円プラスになる感じです。

※今は給与体制が変わっているのであまり参考にならないかもしれません。

※3年目と4年目の追加は新聞配達(朝刊のみ)の収入です。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

その後、転職してみたり、アルバイトしてみたりしましたが、これらより多くもらえた事はありません。

その辺の話はまた来週。。

あれから5年、あれから14年半

もう5年。

もう14年半。

 

時間は着実に過ぎていく。

その間に、何が変わって、何が変わらなかったのか。

 

あっという間である。

 

東日本大震災で痛感したのは己の無力さ。

教育者として生きている事は、緊急時に何の役にも立たない。

 

そこで、この5年間がある。

 

「教育とは何か?」

「私には何が出来るのか?」

 

考え続けている。

 

一応の答えは出ている。

 

・教育とは「準備」であるという事

・教育とは「社会づくり」であるという事

 

・「人権」を軸にして教えよう

・まず発信しよう

・つながりを築こう

 

これらは震災前から考えていた事でもある。

しかし、はっきりと必要性を意識したのは震災のあと。

まだ不十分さを感じている。

 

9・11があっても、まだどこか他人事であった。

3・11で自分の周りでも「何か」が起こる事がわかった。

それも「人為」に限らず……。

 

携帯電話が無くても、誰かと待ち合わせはできるだろうか。

SNSが無くても、誰かと連絡が取れるだろうか。

 

水は?火は?食料は?電気は?

ちゃんと確保できるだろうか?

 

全体が一気にやられることは隕石でも墜落しない限りないだろう。

 

「何かがなければ、気付けない感性の鈍さを憎む」

 

自分に対して言い続けている。

もちろん周りに対しても。

 

今後もどんな準備が必要か考え続けたい。

 

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いくつか本の紹介。

 

7SEEDS 1  フラワーコミックス

7SEEDS 1 フラワーコミックス

 

 2015年に初めて読んだ。

作中の教育機関のカリキュラムが、中高生の頃に理想としてイメージしていたカリキュラムに近かった。

ただ、その教育機関は成績悪いと生徒を処分したり、選別のために殺し合いをさせたりしちゃうので、その辺は全然考え方が違うけど…。

「どんな状況に陥っても、生命を維持する事ができるようになるための教育」が私の原初理想なのよね。

誰にも理解されてこなかったけれどマンガの中に描かれているのをみて「中高の頃の自分に見せてあげたかったな…」なんて思ったのでありました。作者がそのカリキュラムを理想的と考えているかは別として「同じ様な事を考えている人がいる」というのは当時の自分にはありがたい話よね。

ちなみに、今の私は「中等教育の担当者」なんてこぢんまりした感じに収まってますwww

中等教育」だけでもまだまだ実力不足ですがね……orz

 

 

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

 

 

 

 

湯浅誠氏の講演会を聞きに行く予定があるので読んだ。

2015年に私が何度かツイートした「『自己責任』の対義語は『連帯責任』」といった話や、「関係づくり」(文中では「場づくり」)の話、「自己肯定感」を削る(文中では「自分自身からの排除」)話など、私自身が課題と考えていた事と重なる部分が多かった。

ただこれらの本が書かれたのは4〜5年前なので、この本の影響を間接的に受けていたのかもしれない。

自分で考えた気になっているのも、なかなかタチが悪いなぁ……。

自己チェックが出来ないというのは恐ろしいものです。

 

ではまた。。

思い出話と自己紹介

30歳になるまで、私は自分の過去を振り返る事をしなかった。

 

でも、失敗した事、自分の中で解決出来ていない事について思い返す事はよくあったし、数少ないファインプレーについても思い返す事はあった。

 

30歳からは引きこもりがちになったので、自分がどんな人生を歩んで来たのか思い出す努力をしている。

 

いくつか分かった事は

・何かしらの理由がなければ何もしてこなかった事

・小学3年生以来ずっと自分なりの理想像を設定し教育者になろうと考えていた事

・「自分は自分、他人は他人」が根本にあり自分と他者との比較をしてこなかった事

・残念なくらい視野が狭く、物も世間も知らない事(今も相変わらず)

などかしら……orz

 

とはいえ、まだまだ思い出し足りていない事は多い。

 

先日書いたこの記事→

 

hitojuku.hatenablog.com

 

私が飼い犬を殺しかけた事を書いたのだが「なんでかな?」と最近思い返していた。

 

で、思い出した。

 

ちょうどこの頃、家の中でキョウダイ達(プライバシー保護のためカタカナ表記にしましたw)から「滑舌の悪さ」をからかわれていたのだったのよね。

 

その八つ当たりとして飼い犬が言う事を聞かなかった時に

「お前も俺をバカにするのか」

と蹴っ飛ばしていたら、犬が死にかけてしまった。

 

ま、殺さなくてよかった。

 

それを反省して

・誰かに嫌な思いをさせられたら、その本人に仕返しをする、または、我慢する。

・犬だからといって、自分の下にいるべきものと決めつけない。

という様な事を自分ルールとして定めたものでした(当時のルール、今も大して変わってないけどw)。

 

さて、同時に思い出したのが、キョウダイ達から言われたほかの言葉。

 

小学校高学年〜高校くらいまで「臭い」だの「肌が汚い」だのよく言われたものでした。

「臭い」については自分じゃよく分かりませんが、「肌が汚い」のは「遺伝性角質ウンタラ(?)」とかいう診断がついたので解決しました。

だって、遺伝性であって、不摂生が理由じゃないのだから仕方ないでしょ。

 

もしかしたら私が他人との接触が苦手なのも、自分が「臭い」・「汚い」と思っているからなのかも知れません。

 

普段の生活において全然困らないので問題ないですがwww

 

ちなみに、私もキョウダイ達にとてもヒドい言葉をよく言っていたので、やられっぱなしではなかったですがねwww

 

お互い様とはいえ、対人スキルが未熟だといらぬ不幸を生み出しますね。

 

 ま、思い出したからと言って、使い途も無いので、とりあえずブログのネタに使う今日この頃でございますwww

 

そろそろ大学卒業後の履歴を書かないと。

乞うご期待!!!