ヨモギサワ・ヨコボリ・ヒロフサ

思考の結果を徒然なるままに…

大学卒業後の職歴①(市進学院の話)

ここ数年

「そばかすなんて♪ 夕波小波♪ 家に帰ればセキスイハイム♪」

というメロディーが頭から離れません。

 

どうも違いの分からないヨモギサワです。

 

ちなみに上のメロディーは

キャンディ・キャンディの主題歌

瀬戸の花嫁

セキスイハイムのCMソング

 

暑さ寒さも彼岸まで、なんて言いますが、群馬は昨日から暑めでございます。

 

さてもう2015年度も終わりに近づいてきましたので、大学卒業後の職歴を紹介します。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

〜1週間で終わった就活〜

①「卒業後に稼がねば」と思い、2005年11月頃にネットで「塾講師」の職を検索

②条件の一番良い「市進学院」の契約社員募集に申し込み

③次の日に「説明会があるから2日後に来て」と電話

④説明会に行ったらテストを受けさせられる

⑤テスト2日後にテスト通過の電話

⑥2次面接(模擬授業)→英語の過去分詞についての授業("speak"の時制変化も怪しかった)→授業の意図や志望動機を問われる

⑦面接2日後くらい(?)に採用決定の電話

 

(当時の、市進学院の素晴らしさは、説明会や面接の度に交通費が支給(一律千円)された事と、決定までの時間が早かった事。

アルバイトの面接でさえもっと時間がかかったり、採用・不採用の電話すらしてこないところもあるのに……。

未だに、市進学院より素晴らしい待遇の就職面接に出会った事がない。)

 

 

〜市進学院での研修〜

「五者であれ」

「市進の研修受けていれば、どこの塾でもやっていける」

 

2005年12月から始まった研修でまず言われたのが上記2つ。

当時は研修でも満額の日給をもらえていた。

 

研修の流れとしては「過去問・学校研究→模擬授業」が基本的な流れだった。

「過去問・学校研究」といっても、形だけだったが、実際に現場に出た時の指針になった。

「模擬授業」は「大きい声」が重要視され、台本を「コピー」する段階→板書を早くする段階→……とテーマも設定されていた。

 

(私は最初テーマ設定に気付かず好き勝手模擬授業をしてしまったのだが、研修担当Y先生はしっかり研修の意図を説明してくれた。

塾の研修だけあってしっかりと教育をしていたのはさすがである。研修担当の先生が素晴らしかったのが幸いしたのかもしれない。

この研修の時に教わった「既知→未知」、「具体→抽象」といった指針は現在も私が心掛けている事である。

また同時期に読んだ向山氏の本も、研修内容と重なる事が多く参考になった。

 

授業の腕をあげる法則 (教育新書 1)

授業の腕をあげる法則 (教育新書 1)

 

 

ちなみに向山氏の本はこの1冊しか読んでいない。)

 

 

〜市進学院1年目(2006年3月〜)〜

とにかく最悪の「クソ講師」だった。

市進学院には授業マニュアルがあり、年度の前半はほぼマニュアル通りの授業だけをやっていただけだった。

また教材も把握していなかったので、チェックテストを自作したり、ポイントをまとめたプリントを自作したりもしていた。

しかし生徒には全然学力がつかない。

中3でアルファベットを最後まで言えない生徒がいたのも衝撃的だった。

そんな状態で、年度後半には「年度始めからやり直せたらどんなにいいだろう」と考えていた。

この話を、ちょっと漏らしたら「それは言ってはいけない」と同僚に怒られた。

ホント、私は最悪の講師であった。

いったい何人の生徒を犠牲にしたのだろう……。

今、思い出しても恥ずかしくなる。

 

いっぽう、いいとこ無しだった代わりに、春期講習の新人研修では現在の私の「漢文風英語教授法」に繋がるヒントをもらったり、「1+1型」ではなく「全体・部分型」教授法のキッカケを掴んだりと一番私が成長した年でもあった。

 


〜市進学院2年目(2007年3月〜)〜

別の教室に移動した。

 

1年目の反省をいかし

・どんな意図をもって物事を教えているのか

・この1年がどんな流れになっているのか

といった事を生徒に話すよう努め始めた。

 

例えば、

・(当時の市進学院では、宿題をやったり、テストの成績があがったりするごとにポイントを付与していた(小学生のみ)事に関連して)

「『誰かに褒められたい』、『褒美が欲しい』といった動機で勉強をするのはサーカスの動物と一緒ですよね。私はサーカスの調教師にはなりたくないので、ポイントは一律で差し上げます。ヨモギサワに、気に入られようが気に入られまいが受験に影響ありません。そんなことよりも『自分で自分を褒められる』ようになって下さい……」

ただ、この話は研修でも、向山氏の本の中でも触れられている話である。

・「みなさん『大人』ってどうになるか知ってますか?ただ寝て、起きてを繰り返すだけでは今の状態のまま大きくなるだけです。みんなは今の状態のままで家の人みたいに働いたり、近所付き合いしたりできますか?もし出来ないと思うのであれば、今の状態を少しでも変えるために勉強して下さいね。」

・「野球のゲームだけをしていても、技術向上には限界がありますよね。だから投げる練習・打つ練習・走る練習を別々にやるわけです。教科に分けて勉強するのは野球の動きをで別々に練習するのと一緒です。分けてやったあとに、自分の中で総合しなければなんの意味も無い。『練習のための練習』なんてやっている場合じゃない。じゃ、みなさんの勉強はなんのためにやっているのか?受験をなんのためにするのか?しっかり考えていきましょう」

・「『知らない』状態や『できっこない』と思っている状態だと、ちょっとした事でも『壁』に感じてしまいます。既にできる人からみたら、そういう人は自分で勝手に道ばたの小石を『壁』だと思っているように見えます。そういう人を『バカ』といいます(笑)私がみんなの事を『バカ』と言ったり、舌打ちしたり、ため息をついたりしたら、自分は小石の前で立ち止まっているんだと思い出して下さいね……」

といった話。

いま考えても、「バカ」や舌打ちやため息は最低……orz

基本的に小学生にこうした話をする事が多かった。

中学生は本人達が勝手に話をするので聞き役にまわったが、小学生は授業に関するおしゃべりはあまりしなかったのでこちらから話す事が多かった。

 

また、2年目で周りをみる余裕が少しできた事もあり、同僚のT先生にはいろいろと学ばせてもらった。

T先生に言われた「『生徒をただ拘束すればいい』って話ではない。市進は『短い時間で効率よく学力をつけるのが基本スタイル』」という話は今も心に刻んである。

「生徒の人生を奪いながら、授業をしている」という事を忘れてはならない。

 

一方、自分の授業スタイルが確立してきた事もあり「指導書」なんてのを書いてみようと思い始めたのもこの時期であった(未だに完成せず)。

 

 

〜市進学院3年目(2008年3月〜)〜

2年目はある程度、生徒に学力をつける事の一助になれた反面、いろいろと反省点もみえてきた。

・自分自身の教務力不足、知識不足への不安

・「教えすぎていないか?」という不安

・「教え方が独特すぎないか?」という不安

・ベルトコンベア式教育の限界

 

この年度に小学生の保護者との面接で言われた言葉は今も印象に残っている。

それは

「大人と同じ読み方を、子供ができなければならないのですか?」

という言葉。

「中学受験で求められている読み方は、自分の好きなところを好きに読む『読書』ではなく、書いてある事を書いてある通りに読む『読解』ですので……」

といった感じで返答した覚えがある。

(その後「中学受験をするから必要なのか?」と自問自答し続けている。

社会で「読解」的コミュニケーションが出来ている大人なんてめったにいない。

みんな「読書」的コミュニケーションで済ましている。

もちろん、テスト形式になれば「読解」スキルを使う人間は多いだろう。

でも普段のコミュニケーションでは利用しない。

その程度の学び、その程度の社会に私は住んでいる。

自問に対する私の答えは「適齢期以上になったら、全員に必要」である。

「適齢期」とは「自他の区別がつき始める頃(=思春期)」。

ただ、「読解」を実践のために教えている人ってどれだけいるのだろう?

私は会った事が無い……。)

 

元々は、学校教員になる前に、しっかりとした指導力(授業力)をつけたくて始めた塾講師の仕事。

しかし、市進という特殊な環境(担任制・複数教科指導)にいて、私の中の「学校をつくりたい」という中学生の頃から抱いていた思いが再燃した。

「塾を開業してしまおう!!」

これが私の運の尽きwww

そんな思いから、文系講師から理系講師に変わる事になる……。

さらに、知識不足を補充するためには理系の大学進学(これも高校の時から抱いていた思い)が必要と考え、その資金づくりのために新聞配達のバイトも始めた。

 

 

〜市進学院4年目(2009年3月〜)〜

なんやかやあって理系講師に変わったのだが、この時期の市進は不景気・少子化・個別指導塾の台頭……の影響で試行錯誤の過渡期にあり、内部は経営陣はぐちゃぐちゃであった。

 

理系講師としての研修をお願いしていたにも関わらずウヤムヤにされ、不必要にシフトを契約と違う風に入れられ、1年目では犠牲が大きすぎると拒否していた中学受験生を受け持たされ、年度の途中(夏期講習直前)で中1の担当を外され…とさんざんだった。

 

中学受験生を拒否していたのは、地方出身の私にとって中学受験算数がさっぱりどんなものかわからなかったので、理系転向1年目はその把握に努めたいという気持ちがあった(市進1年目の惨劇を繰り返したくない気持ちも強かった)。

ただ受け持ってしまった以上は全力でやった。

(私はこれでも常に全力なの……。)

この3年間の教育スキルの蓄積もあり「中学受験算数の5つの方針」なんてのを元にしたスタイル身につけた。

(自分のスタイルでしか教えられないのは、今も悩みの種)

それでも基本問題しかできるようにはならなかった。

文章問題になると……orz

 

そんなこんなでも、なんとか1年を乗り切ったのだが、契約更新の際に提示された5年目の基本給は、ネットで募集をかけている新人講師の基本給よりも低いものであった。

ま、仕方ない、と思いながら一度はハンコを押したものの

「必要とされないのなら、辞めよう」

と思い直し、退職願を提出した。

 

別になんの当ても無く辞めた。

 

「必要とされないなら辞める」

 

ただそれだけの話。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

機関車トーマス風に言うと「役に立つ機関車になりたい」かしらwww

 

最近、トーマスを見る機会があったのだが「やりがい搾取」という言葉が頭から離れない…orz

 

という事で今週はここまで。

来週に、つづきます。。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

そうそうだいたいの年収を書いておきます。

もし塾業界への就職を考えている方がいらっしゃいましたら古い話ですが参考にして下さい。

 

1年目:330万

2年目:300万

3年目:320万+30万

4年目:320万+100万

 

※額面です。

契約社員は週4日勤務(5時間10分)でした。

※当時は週5日勤務の契約社員もいて、そちらは30万円プラスになる感じです。

※今は給与体制が変わっているのであまり参考にならないかもしれません。

※3年目と4年目の追加は新聞配達(朝刊のみ)の収入です。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

その後、転職してみたり、アルバイトしてみたりしましたが、これらより多くもらえた事はありません。

その辺の話はまた来週。。

あれから5年、あれから14年半

もう5年。

もう14年半。

 

時間は着実に過ぎていく。

その間に、何が変わって、何が変わらなかったのか。

 

あっという間である。

 

東日本大震災で痛感したのは己の無力さ。

教育者として生きている事は、緊急時に何の役にも立たない。

 

そこで、この5年間がある。

 

「教育とは何か?」

「私には何が出来るのか?」

 

考え続けている。

 

一応の答えは出ている。

 

・教育とは「準備」であるという事

・教育とは「社会づくり」であるという事

 

・「人権」を軸にして教えよう

・まず発信しよう

・つながりを築こう

 

これらは震災前から考えていた事でもある。

しかし、はっきりと必要性を意識したのは震災のあと。

まだ不十分さを感じている。

 

9・11があっても、まだどこか他人事であった。

3・11で自分の周りでも「何か」が起こる事がわかった。

それも「人為」に限らず……。

 

携帯電話が無くても、誰かと待ち合わせはできるだろうか。

SNSが無くても、誰かと連絡が取れるだろうか。

 

水は?火は?食料は?電気は?

ちゃんと確保できるだろうか?

 

全体が一気にやられることは隕石でも墜落しない限りないだろう。

 

「何かがなければ、気付けない感性の鈍さを憎む」

 

自分に対して言い続けている。

もちろん周りに対しても。

 

今後もどんな準備が必要か考え続けたい。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

いくつか本の紹介。

 

7SEEDS 1  フラワーコミックス

7SEEDS 1 フラワーコミックス

 

 2015年に初めて読んだ。

作中の教育機関のカリキュラムが、中高生の頃に理想としてイメージしていたカリキュラムに近かった。

ただ、その教育機関は成績悪いと生徒を処分したり、選別のために殺し合いをさせたりしちゃうので、その辺は全然考え方が違うけど…。

「どんな状況に陥っても、生命を維持する事ができるようになるための教育」が私の原初理想なのよね。

誰にも理解されてこなかったけれどマンガの中に描かれているのをみて「中高の頃の自分に見せてあげたかったな…」なんて思ったのでありました。作者がそのカリキュラムを理想的と考えているかは別として「同じ様な事を考えている人がいる」というのは当時の自分にはありがたい話よね。

ちなみに、今の私は「中等教育の担当者」なんてこぢんまりした感じに収まってますwww

中等教育」だけでもまだまだ実力不足ですがね……orz

 

 

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

 

 

 

 

湯浅誠氏の講演会を聞きに行く予定があるので読んだ。

2015年に私が何度かツイートした「『自己責任』の対義語は『連帯責任』」といった話や、「関係づくり」(文中では「場づくり」)の話、「自己肯定感」を削る(文中では「自分自身からの排除」)話など、私自身が課題と考えていた事と重なる部分が多かった。

ただこれらの本が書かれたのは4〜5年前なので、この本の影響を間接的に受けていたのかもしれない。

自分で考えた気になっているのも、なかなかタチが悪いなぁ……。

自己チェックが出来ないというのは恐ろしいものです。

 

ではまた。。

思い出話と自己紹介

30歳になるまで、私は自分の過去を振り返る事をしなかった。

 

でも、失敗した事、自分の中で解決出来ていない事について思い返す事はよくあったし、数少ないファインプレーについても思い返す事はあった。

 

30歳からは引きこもりがちになったので、自分がどんな人生を歩んで来たのか思い出す努力をしている。

 

いくつか分かった事は

・何かしらの理由がなければ何もしてこなかった事

・小学3年生以来ずっと自分なりの理想像を設定し教育者になろうと考えていた事

・「自分は自分、他人は他人」が根本にあり自分と他者との比較をしてこなかった事

・残念なくらい視野が狭く、物も世間も知らない事(今も相変わらず)

などかしら……orz

 

とはいえ、まだまだ思い出し足りていない事は多い。

 

先日書いたこの記事→

 

hitojuku.hatenablog.com

 

私が飼い犬を殺しかけた事を書いたのだが「なんでかな?」と最近思い返していた。

 

で、思い出した。

 

ちょうどこの頃、家の中でキョウダイ達(プライバシー保護のためカタカナ表記にしましたw)から「滑舌の悪さ」をからかわれていたのだったのよね。

 

その八つ当たりとして飼い犬が言う事を聞かなかった時に

「お前も俺をバカにするのか」

と蹴っ飛ばしていたら、犬が死にかけてしまった。

 

ま、殺さなくてよかった。

 

それを反省して

・誰かに嫌な思いをさせられたら、その本人に仕返しをする、または、我慢する。

・犬だからといって、自分の下にいるべきものと決めつけない。

という様な事を自分ルールとして定めたものでした(当時のルール、今も大して変わってないけどw)。

 

さて、同時に思い出したのが、キョウダイ達から言われたほかの言葉。

 

小学校高学年〜高校くらいまで「臭い」だの「肌が汚い」だのよく言われたものでした。

「臭い」については自分じゃよく分かりませんが、「肌が汚い」のは「遺伝性角質ウンタラ(?)」とかいう診断がついたので解決しました。

だって、遺伝性であって、不摂生が理由じゃないのだから仕方ないでしょ。

 

もしかしたら私が他人との接触が苦手なのも、自分が「臭い」・「汚い」と思っているからなのかも知れません。

 

普段の生活において全然困らないので問題ないですがwww

 

ちなみに、私もキョウダイ達にとてもヒドい言葉をよく言っていたので、やられっぱなしではなかったですがねwww

 

お互い様とはいえ、対人スキルが未熟だといらぬ不幸を生み出しますね。

 

 ま、思い出したからと言って、使い途も無いので、とりあえずブログのネタに使う今日この頃でございますwww

 

そろそろ大学卒業後の履歴を書かないと。

乞うご期待!!!

文句を言う人

文句を言う人が今週ツイッターで話題になっていました。

 

 

この小池一夫とやらが、少年少女のために何をしている人なのかは興味がある。

ここまでの事を言っておきながら、まさか何もしていないという事はないよね。

 

ちなみに「中1少女が出会い系サイトに登録する事に断固として反対する」なんて事を言っただけで、「何かしてあげた」と考えるようなバカでない事をお祈り申し上げますwww

 

ま、私はこんなんをチェックし続けるヒマは無いのだが、何かしている人であれば、いつか関わる事があるかもしれないので忘れないようにしようと思うw

 

 

そういえばこんな事もあった。

 

 

この「保育園落ちた日本死ね」の記事に対して、「そんなブログを書いているヒマがあったら、別の行動をとった方が生産的」、「取るべき手段を間違えている」みたいな文句を言っている人を見かけた。

 

Facebook上で友人が「いいね」をしていたので目にしたのだが、その友人も何を考えて「いいね」をしたのだろうか。

「さらし者にしてやろう」とか考えていたのであれば、もっと仲良くなりたいものであるwww

 

それにしても、匿名ブログに投稿した人間が何をしているのか突き止める方法が開発されたのかしら?

何を以て、ブログの投稿者に対して文句を言ったのかしら?

そもそもブログの投稿内容は、ブログ投稿者の実体験なのかしら?

いったい何に文句を言っているのかしら?

 

文句を言う方々が、どんな利害関係と思考回路をお持ちなのかは大変興味のあるところであるwww

 

ま、私はこんなんチェックし…(以下同文)w

 

 

ちなみに私は文句ばかり言っている。

ツイッターFacebookを遡ればお分かり頂けるかも?!)

 

友人に、昔の職場に、同業者に文句を書いてはネットにアップしたり、誰かに愚痴ったりしている。

なるべく、本人達が目にするように、もしくは、本人達の耳に届くように文句を言うよう心掛けている。

 

そうしておいて何かが変われば儲けものだし、変わらないなら変わらないで相手を理解する事が出来る。

また、相手の目にも耳にも入らないのであれば、それなりの付き合い方もできる。

 

そういえば実生活でも文句ばかり言っている。

 

結果は、無視されて終わりwww

 

それなりの付き合い方をできるといいながら、それなりの付き合いしかしてもらえないみたい……orz

 お互いそれでちっとも困らないのだからいいか…www

 

私は文句を自分と関係する物事に対して積極的に言うようにしとります。

「生産的じゃない」、「手段を間違えている」、「言い方を考えろ」なんて言う輩もいますが、私にとっては一種のバロメーターとして利用できるのでよいのです。

そんな事をいう奴がハナから協力体制を築ける人間じゃないと知ってますからwww

 

皆様方におかれましては、何に対して文句を仰っていらっしゃるのでしょうか?

興味だけはありますwww

 

 

あっという間に2月も終わりますね。

よい月末をお送りください。

では、また来週。。

 

 

【追記 2016年3月4日】

その後、言及したFacebookの投稿を見つけ出し読み直したところ「別の行動を取った方が生産的」と言っている対象は、匿名ブログ投稿者にではなく、政界・芸能界スキャンダルに憤ってる人々への話だったみたいです。

とはいえ「誰に対して何のために言っているの?」という私の意見には変わりありません。

また、ブログ内で同じ事を既に述べているのに、敢えて、自分の言葉で同じ主張を繰り返す意図もよく理解出来ません。

 

他人の意見を話していたはずなのにいつの間にか自分の意見として話している人、自分の意見を話していたはずなのにいつの間にか他人の意見として話している人、よく見かけますねwww

 

その後こんな話があったようです→

 

「論点はそこじゃないでしょうよ」という言葉に同意です。

 

そういえば、ワイドショーでも島根県の人に取材した映像が流れてました。

記者「待機児童問題ってあります?」

地元住民「えー!そんなの無いですよ!!」

というやつ。

最後まで見なかったので、どう締めくくったのかは分かりませんが、地方の感覚はそんなものでしょう。

 

だからといって、国会議員が同じ感覚では困る。

「自分の目に見えない物事は信じない」というバカには本当には困ります。

 

確かに、待機児童の問題は首都圏などの人口過密地域で起きている話です。

 

しかし、その原因は

 

労働環境→今の時代に「出社」って必要?

②生活環境→共働き社会になって久しいのに保育園の利用条件おかしくない?、孤立社      会になっているのに保育園の利用条件おかしくない?

③保育園環境→首都圏でも認可に園庭が必要ってどうなの?(近くの公園でもいいらし       いけど…)、そもそも認可のハードル高すぎない?、認可がおりない保       育園には助成金も出さないのは変じゃない?(これは事実ではないか        も)

 

など多岐にわたると考えています。

子供の人数に制限があるのだから、助成金を出さなければ、事業者が保育士の給料を上げる事を出来る訳無い。

 

いっその事、首都圏の保育園が一斉にストライキ起こして、日本をストップさせてしまえばいいのではないかしら?

 

過去の微調整しか出来ず、問題解決を先送りし続けるなら、マジで「日本死ね」、と考えております。

 

だからこそ、私は引きこもっていたのだけれど…。

とうとう新しい流れは見つからなかったです。

仕方ないので、外に出ようと思いますwww

 

【追記2 2016年3月6日】

なんかFacebook投稿への文句が個人攻撃みたいになってしまっていますが、私自身はその投稿をした人と面識はなく、人となりも一切知りません。

私が文句を言っているのは、「自分の見える世界が全て」みたいに感じる人たちです。

私はよく見かけるのですが、皆様はどうですか???

 

「追記1」で「待機児童」に言及しましたが、データを見ていなかったので検索してみました→

http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11907000-Koyoukintoujidoukateikyoku-Hoikuka/0000078425.pdf

 

政令指定都市がない県にもいるのですね。

過疎化しすぎて保育園が遠くにしかなく入れない、なんて事も起こっているのでしょうか?

やはり、イメージと感覚だけで話をすると現実と乖離しやすいですね。

私も「自分の見える世界が全て」となりがちですね。

あ〜、やだやだ…。

気をつけますm(._.)m

理想的な身体の鍛え方

最近、私のツイッターTLでは部活動、部活動顧問についての問題提起が活発です。

 

私が中学生、高校生だった頃には、教職員の勤務時間など考えもしませんでした。

 

高校1年の時に「君の事が嫌いなので退部します」と書いた手紙を顧問に突きつけ、部活を辞めたのもいい思い出ですwww

私は昔から相変わらず嫌な奴でございますなぁ…orz

ま、自分よりも年齢が上のくせに、大した人間性を感じさせない奴は相手にしたくないのでございます(実は、相手にされていないだけ)www

 

そんな私は中学2年の時から陸上部に入りまして、それ以来ずっと自分でメニューを作り練習してました。

 

ただ当時はインターネットも発達していなかったので、練習方法を調べるのも一苦労でした。

今はいいですね、練習方法を調べたければすぐ検索出来るし、トッププレイヤーの動画も探せるし、いざとなったら専門家とコンタクトを取る事もできるのですから。

 

当時は本を買うか、自分で調べるか、誰かの持論を伺うかしかできませんでした。

 

そういえば、私と同世代の方なら経験した事があるであろう「腿上げ」という練習…。

みなさんも「もっと高く」とか「もっと速く」とか言われながらやったのかもしれませんね。

なのに「腿上げ」という練習方法が、昔のトレーニング研究家の訳間違いだと知った時は、その研究家の語学力不足を呪わずにはいられませんでした(笑)

 

 上記の退部届けを書いた後、家の近くにあったスポーツジムに通った事もありました。

高2になって部活に復活した後も、そこでのトレーニング方法を参考にして高校卒業まで自主練をしてました。

 

そんな私にも「理想的な身体の鍛え方」というイメージはございます。

 

それは何かというと「重力室」!!!

 

この「重力室」というものをご存じない方もいらっしゃるとは思いますので、説明させて頂きますとドラゴンボールに出てくる空想の産物でございます。

 

ドラゴンボール 完全版 (1)   ジャンプコミックス

ドラゴンボール 完全版 (1) ジャンプコミックス

 

 

ナメック星に向かう悟空が修行のために開発してもらった重力をコントロールする装置なわけです。

しかし、100年前に存在が予言された「重力波」をやっとこさ観測出来たばかりなので、重力をコントロールするなんて事が出来る訳はないですな。

 

さて、私が理想とする身体の鍛え方が「重力室」というその理由はと言いますと、「全身運動」だからです。

 

そもそも筋力トレーニングというのは「全身を一気に鍛えられないから部分ごとに鍛える」というものと理解しております。

つまり「1たす1型」の練習方法と言える訳です。

すると、どうしても身体のバランスが狂ったりや連結に齟齬が生じたりする。

 

全身の負荷をくまなく増やし鍛えるためには、やはり「重力室」みたいなものがあったら理想的です。

 

とはいえ、無い物ねだりをしていても仕方がないので人は「水」を利用したりもします。

「水」利用のマイナス点は同時に「浮力」が働いてしまう事でしょうか。

 

また、身体のバランスや連結の補正のために「コアマッスル」や「体幹」を意識したトレーニングが行われているのでしょう。

 

各トレーニングの利点・欠点を把握して身体を鍛えるのが大事なのでしょう。

 

ところで、筋力量はいかほどであれば理想的なのでしょうか?

 

私は「筋肉」=「燃費悪い」というイメージがあり、ライザップの宣伝を見て「一般人があんな筋肉持っても無駄だろう」なんて思い込んでいました。

でも昨年、TBS「夢の扉」で「筋肉には免疫力を高める物質を作る作用がある」みたいな話(詳しくは忘れましたw)をしていたのを見て、考えを少し改めてみようとしているところです。

 

ちなみに「筋肉」好きですwww

その理由は仮面ライダージャッキー・チェン

多分、ドラゴンボールも入ってます。

シュワルツネッガーも入っているかな?

「筋肉」は格好いいと思ってます。

 

もとい、方法を吟味する事はもちろん大切なのですが、一番大事なのは「何のために身体を鍛えるのか?」という事。

 

特定のスポーツをするため?

「脱げない服」として見た目を良くするため?

健康のため?

自分を好きになるため?

誰かに勝つため?

 

いろいろと目的はあるでしょう。

もっと突き詰めなければならない目的もあるでしょう(「『健康』って何?」とか…)。

 

現状で実現し得る「理想的な身体の鍛え方」とは「『目的』をもって、そのための『手段』を吟味し行動に移す事」なのでしょうね。

 

結局、いつもと同じ事を言ってるだけになってしまいました。

 

私も家で「死亡率25%」とかを記録している場合ではないですなwww

 

おっと失礼。

漢字を間違えました「脂肪率25%」でした。

 

いや、自分でもヤバい数字なのは分かっているつもりなのですけどね……orz

「行動する」というのが一番難しい事ですね。。

 

 

そうそう、身体を鍛える上で参考になりそうな本をいくつか貼っておきます。

 

GRAND SLAM 1 (ヤングジャンプコミックス)

GRAND SLAM 1 (ヤングジャンプコミックス)

 

 

フットボールネーション 1 脚のきれいな選手求む! (ビッグコミックス)

フットボールネーション 1 脚のきれいな選手求む! (ビッグコミックス)

 

 

オールラウンダー廻(1) (イブニングKC)

オールラウンダー廻(1) (イブニングKC)

 

 

マンガばっかり…www

マンガに参考文献を記して欲しいと本気で思っている今日この頃です。

 

という事で、今週の「俺通信」はここまで。。

不倫をするならせめてサルトルに倣え…

「ハッピーバレンタイン!!」

 

と、バレンタインの命日(?)に言っていいものかようわかりませんが、いつの間にか2月も半ばでございます。

 

とにかく、今日は「愛の日」!!!

 

エイプリルフールに嘘をつかなければならないのと同様、今日は愛について語らなければならないのです!!!(←こういうのを日本人的発想というのかしらww)

 

 

お厚いのがお好き?」というテレビ番組をご存知かしら?

 

10年ほど前にNISSANの提供で放送されていた(←これをとても強調していたの)w

「100分de名著」のはしりみたいな番組。

 

私はなんやかやあって、見逃す事が多かったけれど、放映後、1冊の単行本にまとめられたので買って読んだ。

 

お厚いのがお好き? (扶桑社文庫)

お厚いのがお好き? (扶桑社文庫)

 

 

その中の「サルトル」についての説明が印象的だったので今も覚えている。

 

確か「サルトルは妻帯者であったが、結婚後も自由な恋愛を楽しむ事を提案し妻に認めさせていた」みたいな話。

 

そして最近、ワイドショーでの不倫報道を見て思ったのが

「不倫をするならせめてサルトルに倣えばいいのに」

という事。

 

「結婚しても、お互い自由な恋愛をし続けようね」

 

と了解をとり、公表しておけば第三者の口出しなど「余計なお世話」とつっぱねられるだろうに。

 

そうした信条もなく、不倫しているのはナゼかしら???

 

バカなの?

ゲスなの?

新手の「見える化」なの?

 

それにしても「他人のものを取った」、「持ち主を裏切った」みたいな感じで不倫が語られるのは気持ち悪い。

 

「婚姻」というのは差し詰め「所有権登記」という事かしら?

 

あ〜、やだやだ。

 

(そういえば「婚姻制度なんてなくなってしまえばいい」みたいなツイートをきっかけにフォローしはじめたマサキチトセ氏の記事を貼っておきますね。

 

 

まだ私は読んでませんけどね…orz

というかこの論文が載っている『現代思想』買ってあるのだけど、手をつけていないという……。)

 

ところで、「『不倫』なんていうのは時代によって定義が変わる。昔は……」みたいな話をマスコミの前でした石田純一は、次の日に「不倫は文化」という見出しでスポーツ新聞を飾ったわけですが、いったい「不倫」てなんなのかしらね?

 

この本を読めば何か分かるのかしら?

 

はじめての不倫学 「社会問題」として考える (光文社新書)

はじめての不倫学 「社会問題」として考える (光文社新書)

 

 

でもそこまで興味はないのよね…。

 

だって私は「不倫」なんてものとは無縁だからwww

 

恋愛関連全般苦手なのよね…。

恋愛感情抜き人間関係のための人格形成を目指してしまい、ほぼほぼ成功してしまったのです?!

 

ちなみに

 

サルトルに倣えばいいのに」

 

なんて言いましたが、あまりオススメはしません。

 

実は例の本のサルトルの説明には続きがあって

 

サルトルは自由な恋愛を楽しみ続けたが、妻は次第に精神を病んだ。しかしそれでも離婚しなかった。」

 

という感じに続くのです。

 

あなたの所属する社会の文化が「不倫」というのから「不倫」になるのかもしれませんね。

 

敢えてそこに挑むなら、せめて何かしらのポリシーをお持ちになったらいかがでしょうか?

 

そうした既存の常識を打ち破るポリシーに垣間見える知性の光を私は見てみたいのですが、世の中真っ暗ね…orz

 

ってか、私のお先が真っ暗なだけかしらwww

 

という事で、シー・ユー・ネクスト・フライデイ・頃(^o^)/

東村立東中学校であった事

先週の冒頭で言及したアカウントは消えていた訳でも、ブロックされていた訳でもなかったようなので嬉しい。

先週の話は以下の通り。

 

hitojuku.hatenablog.com

 

読み返すと、ツイート貼付け箇所など読みづらい…。

「てにをは」も微妙な感じ…。

 

ちょっと補足しておきます。

 

人権侵害・人権犯罪の動機を「支配(コントロール)したい」と前回書いたが、もちろん、その前に「マウンティング」の意識があると考えている。

 

「マウンティングはコントロールの始まり」

 

そんな気がする。

 

 

マウンティングしようとして、うまくいかない時、コントロールしてやろうという気持ちになるのかもしれない。

このツイートを見て、そんな事も感じた。

 

私自身「マウンティング」や「コントロール」が楽しいという感覚がある。

小学生の時には、そのせいで飼い犬を殺しかけた。

そのおかげで、これらの「楽しさ」に注意する事ができるようになったし、別の楽しさを探す事も出来ているのかもしれない。

もちろんこれこそ、私が憎んでいる「何かがなければ気付けない鈍い感性」にほかならないのだが……。

 

私は他者を侵害しているかどうかの感性が人一倍鈍いので、自分が「楽しい」とか「うまくやれている」と感じている時こそ注意するようにしている。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

先週の補足は以上。

ここからは今週の話。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

中学2年(1996年)の時の話。

体育の授業が終わり教室に戻ると、数人の同級生がキャーキャーと騒ぎ始めた。

何事かと思ったが、次の授業が始まってしまい聞く事ができなかった。

給食の時間となり、担任が先ほど騒いでいた生徒の名前を呼び、昼休みに生徒指導室に行くように指示した。

昼休みに生徒指導室を覗きに行くと、他クラスの同級生も合わせて30人ほどが集まっていた。近くで覗いていた友人に話を聞いたところ、体育の授業で生徒がいない間に先生達が荷物検査をして、チョコやプレゼントを持って来ていた子を集め説教しているらしい。

その後、生徒指導室から出てきた子に話を聞いても誰も何も教えてくれない。

どうやら箝口令がしかれたようだ。

そんなバレンタインデーの思い出。

 

次の月、卒業式の前日、学校中の窓ガラスが割られた。

犯人は一つ上の先輩と、卒業生だったらしいという噂が流れた。

この事件はワイドショーでも取り上げられ、その後、中学校には監視カメラが設置された。

 

高校3年(1999年)の時。

中学校のひとつ下の後輩が殺された。

殺したのは中学の時から仲良くしていた同級生や、先輩たち数十人。

所属するチームを抜ける、抜けないのイザコザからリンチに発展したらしい。

加害者が誰だかの噂は私まで届かなかったが、私の同級生もいたらしい。

被害者の顔は知っていたし、中学の時は話をした事がある。

たぶん加害者の名前を聞けば顔は浮かぶ。

ワイドショーでも取り上げられたので、どこで殺されたのかも見当はつく。

 

(ちなみに私の出身中学は佐波郡東村立東中学校(現:伊勢崎市立あずま中学校)。群馬県太田市生まれ、東村(現:群馬県伊勢崎市)育ち(19歳まで)である。)

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

事件以来ずっと考えている。

どうすれば何も起こらずに済んだのかと…。

 

中学ではずっと統制されていた。

そしてそれに従うフリをしていた。

私は従うフリが上手だと思っていたので、周りで無邪気に反発する人間がいたら近くにいる事で中和している気になっていた。

(反発の方向は教師側だけとは限らない)

いま考えれば単なる奢りである…。

 

一方で教員達は何を思って統制していたのか気になる。

 

「あなた方の教育は見事に人を殺しましたが、どう思っていますか?」

 

と聞いてみたい。

とはいえ、自分が地元で教育実習をした時、当時の教員に会いに行ったのだが、さすがに聞けなかったが…。

 

ところで「フリ」と書いているが、本当に「フリ」だったのかは甚だ疑問である。

この「フリ」こそが「従う」という事なのではなかろうか…。

 

私の場合は中学で終わると思っていた「統制」が高校でも続いたので、フリを止めてやりたいようにやり始めた。

とはいえ、本当にやりたいようにやれるようになったのはつい最近の話である。

 

やっと「自分の主権を自分に取り戻せた」という感覚。

 

ただ私のやっている事というのは

 

「山にこもって何年もかけて2次方程式の一般解を求める公式を導きだし、山から下りてみたら既にその公式が存在していた。」

 

みたいな感じの事が多いので、自身に特殊性は無い。

 

特殊性は無いから、大半の人は身につけられる。

 

特殊性が無い事といい、信用されない事といい、自分は中等教育の担い手としてつくづくぴったりだなぁwww

 

という事で、今週の「俺通信」はオシマイ。

 

なんか最近、私が勝手に空想の物語をつくって「教育が大事」と主張しているだけだろ、みたいな事を友人に言われたので、今回、自分の来歴・プライバシーを少しだけ開示しました。

 

常に私は、現実を見ているつもりですし、実現可能な話をするよう心掛けているつもりです。

もし至らない点がございましたら、お手数ですがご指摘頂けると幸いです。。

 

 

【説明不足備忘メモ】

中等教育

・プライバシー開示基準(対人スキル)

・「フリ」をやめた理由